ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7392,閑話小題 〜殿町の灯火
済んだが… 運転免許の取得の期間に、平均すると重傷事故を一回起こすと
いうデータがあるというが。 男女間の諍いを事故に類推すると面白い?
特に結婚生活。北欧では7割、アメリカで5割、日本は3割5分が離婚に至る。
問題は、子供に対する影響。世の中の大方の不幸は、両親の不和から起因する
性格形成で生じる歪みが多い。暴走車が人の列に突っ込むのを犯罪に例えると
何やら恐ろしくもなる。そう例える私の心象風景も問題ありますか。
・・・・・・
6267,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −3
2018年05月11日(金)
* 「わかる人はわかる」というのは本当!
過去を振り返ってみて、何度も、何故か「何か」に助けられたことがあった。
それが不思議である。母親も何時も危機になると不思議の力で助けられてきたが
口癖であった。それが幼児の頃に亡くなった父親だという。私のそれは何?
ユングの集合的無意識の家族バージョン、先祖バージョンか、原子脳の働き?
確かに霊感は、その人によって、時節によって強弱がある。両親の良し悪しで
人生の大方は決まってしまう。これも運。宿命は変えられなくても運命は変え
られるというが、そのためには、膨大なエネルギーの集中を要する。欧米では、
心の奥の院にアッラーの神が存在する。日本では多神教としても、その中核に、
仏教がある。太平洋戦争敗戦後、70年以上経過して、平和ボケしてしまった。
そこに情報機器の進化で、ネット社会が現実社会を覆ってしまった。神も仏も
ありはしない世界が日常になった。韓国や北朝鮮を「合せ鏡」にすれば解るが、
それ以上に危ないのが日本。
《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
≪ …髑髏島の原住民たちがコングの人間界への侵襲を防ぐために建設した、
あの巨大な「門」を想像してもらえればよろしいかと思う。 「かんぬきと
戸がしっかり機能している場所だと、私たちは「高ぶる波」のすぐ近くまで行く
ことができる。 聖人とは、「境を定め、かんぬきと戸をもって高ぶる波をおし
とどめる」人のこと。 私たち全員がそのような仕事をしなければならないという
わけではない。けれども、時どき、聖人が登場して、「かんぬきと戸」の点検を
することは私たちが人間的秩序のうちで生きてゆくためには必須のことなのである。
私はかつてそのような仕事のことを「歩哨」(sentinelle)と呼んだことがある。
私たちの社会制度のさまざまな箇所で「ほころび」が生じている理由を私は端的に
「歩哨」の絶対数が減ったことだと思っている。 福島の原発事故は「恐るべき力」
を制御するための「かんぬきと戸」の整備と点検の仕事がほとんど配慮されて
いなかったことを示した。そこには会社の収益や、マニュアル通りの業務や、
自身の組織内の立場を優先的に配慮する人間たちはいたが、「あなたの高ぶる
波はここでとどまれ」と告げる「歩哨」仕事を自分に託された召命だと思って
いる人間はいなかった。
「境を守る」ことを本務とする人間を「戸」の近くに配備しなければならない
という人類学的な「常識」を私たちはだいぶ前に忘れてしまった。
戦争もテロも飢餓も恐慌もない、豊かで安全な生活が半世紀続いただけで、
日本人はその常識を忘れてしまった。 私たちの生きているこの狭く、脆い世界は
「境を守るもの」たちの無言の、日常的な、献身的な努力によってかろうじて
支えられているのだということを忘れてしまった。
崩れかけたこの社会の再構築のための急務は、「歩哨」の備給である。「境」に
おける歩哨のふるまいには定型的なマニュアルもガイドラインもない。もちろん、
一般的な「傾向」はあるが(それは神話や恐怖譚として繰り返し語られている)、
「存在しないもの」の侵襲はどのようなかたちをとるのかを私たちは正確には予測
できない。だから、歩哨たちには「どうふるまってよいかわからないときに、
どうふるまえばよいかがわかる」能力が必要なのである。
その「センサー」を研ぎ澄ますために経験的に効果的な方法が存在する。
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05月11日(火)
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