ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7373,読書日記 〜『孤独の達人』
  1989年に昭和天皇が崩御され、平成の時代が幕を開けた1989年という年は、
 世界的にも様々な出来事が起こり、大転換期にあった。
・その6月に、中国では天安門事件が起こり、
・11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊。
・その壁崩壊を受けて、12月に米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ
 書記長によるマルタ会談が行われ、米ソ冷戦の終結を宣言。
・日本では不動産バブルがピークに達し、89年12月の日経平均株価は3万8957円を。
 日本の地価はうなぎ登りに上昇し「日本を売れば、米国が買える」と言われた時代。
・その2年後、実際にバブルが崩壊した。100兆円規模の不良債権が発生し、日本は
 「失われた20年」に突入していった。
・その後の日本は長期低迷が続き、深刻なデフレに陥った。デフレから脱却する
 ために打ち出されたのが、安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」である。
・平成の時代を語る上で、もう一つの大きなキーワードは「グローバリズム」。
 80年代、米国のレーガンと英国のサッチャー首相が、あらゆる規制を緩和する
経済政策を打ち出したいわゆる「レーガノミクス」「サッチャリズム」と呼ばれる。
当時の首相であった中曽根康弘氏もそれに乗っかり、小さな政府、グローバル化、
 規制緩和などを盛り込んだ経済政策を推進した。「新自由主義」と呼ばれる政策。
・時を同じくして、85年にソ連はゴルバチョフ氏が最高指導者となり、
「ペレストロイカ」を提唱。それまで堅持していた一党独裁体制を止めるということ
 である。これがソ連崩壊へと繋がってゆく。
・ゴルバチョフの登場によって米国は、「どうやらソ連は我々の敵ではなく、真の敵
 は日本ではないか」と考え始めた。当時の日本は、米国に電化製品や自動車を中心
 の多くの製品を輸出していて、米国の対日貿易赤字はどんどん膨らんでいった。
 いわゆる、日米貿易摩擦が深刻化していた。米国は、日本に自由化を強く要求した。
 さらには、対日貿易赤字が膨らむ原因は日本円が安すぎるからだと主張し、1985年
 のプラザ合意で、先進国は協力して為替レートをドル安に進めることに合意した。
・当時の大蔵大臣は竹下登氏である。この時、日本円は1ドル=240円で推移していたが、
 プラザ合意の後はあっという間に150円台まで高騰した。さらに米国は、日本の輸出
 を縮小させるために、「無理矢理でも内需を拡大しろ」と要求。これにより、産業
 構造や政策の在り方を示した「前川リポート」が公表される。内需の拡大や金融の
 自由化、国際通貨価値の安定などが盛り込まれた。こうして強力な内需拡大策が
 進められ、80年代後半にかけて空前のバブルが巻き起こった。同時に中曽根首相が
 進めたのは自由化。国鉄の民営化、電電公社の民営化、売公社の民営化も行われた。
 これが、グローバリズムの始まりである。
   * グローバル化と、無視できない程の歪み
 ヒト・モノ・カネが国境を越えて、世界市場で活動する巨大な潮流である。
 平成という時代は、まさにグローバリズムから始まったと言えるだろう。欧米では
 グローバリズムの歪みが無視できなくなった。ところが、グローバリズムの歪みは
 徐々に無視できなくなってきた。象徴する出来事が、16年11月の米大統領選挙で
 ドナルド・トランプ氏が勝利したこと。あるいは17年6月の英国EU離脱である。 ≫

▼ あらためて振返ってみて隔世の感がある。生命誕生40億年来の革命期と言われる
 時代にあって、バブル崩壊以来、日本は成す術もなく凋落の道を歩んできた。その中、
8年前に事業整理に至ったが、引き時のプログラムも創業時に組み入れていたこともあり、
何と現在に至っている。渦中にあって、この激動に対して鈍感になっていた。当然、
その報いそのままを受けて当然、至極。国家予算の半分が赤字国債に対して、鈍感に
なっている国民と政府。 必ず、そのツケは次の世代に回ってくるのに… 

 〜また偶然だが、30年なら、何倍なのでしょうか… 個人HP内検索で30分ほど、

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04月22日(木)
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