ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7354,読書日記 〜世間異教徒の主張…
・・・・・・
6592,閑話小題 〜平成元年は西暦1989年
2019年04月03日(水)
* 和歴の話
・・・・・・
6229,閑話小題 〜
2018年04月03日(火)
<『生きる勇気 死ぬ元気』帯津良一&五木寛之、p115 >
* 「場は未来からやってくる」
〜「場」をネット検索によると、
《場(ば)、英語: fieldという。工学分野では電界・ 磁界など界ともいう。
(界)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を
与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。》と…。
例えれば大相撲の立合いの一瞬や、野球の投手とバッターの対決の「場」を
想いうかべると、解りやすい。確かに未来が瞬時、現在にさま変わる。
私のルーツはビッグバン。 死はブラックホールのような世界?
―
【帯津】 私、東大名誉教授で場の研究所の清水博先生を尊敬しているんですが、
先生が、昨年の秋に親鸞仏教センターの会で、「場は未来からやってくる」
ということをおっしゃったんです。
【五木】 ほう。場は未来からやってくる。
【帯津】 われわれは、環境という「場」のなかの存在です。家庭、学校、
職場、地域、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場のなかに
重複しているのです。これらの場は、宿命的な場ともいえます。嫌だから
といって、そうやすやすと逃げ出すわけにはいかないのです。
【五木】 なるほど。
【帯津】 私たちは、毎日、場のなかを移動しながら生きているわけです。
たとえば宿命的でない一時的な場となると「広場、市場、酒場」、さらに
修羅場、正念場」とさまざまです。そして、われわれはいつもいずれかの
場に身をおき、ひとつの場を去るときは、新しい場を迎えるときです。
【五木】 なるほど。
【帯津】 いま、こういう場に五木さんと私がいて、対談が終わると車に乗り
家に帰り、また仕事場や一時的な場に入るというように。清水先生は、
「自分を固定してみると、場が未来からどんどんやってくる」とおっしゃった
んです。それを聞いて、先生はずいぶん上品におっしゃったなあと思いました。
【五木】 というと。
【帯津】 私には、「場は未来からおそいかかってくる」という感じなんです。
それで、おそいかかってくいる場を「予感」と「直観」で選別し、取捨
選択している。いい場だったら、そこに居すわってみよう、悪い場だったら、
体をかわしてやりすごそうと。そういうことを予感と直観でやっているんだ
と思うんです。それが、われわれが生きているということでして、つぎつぎ
襲いかかってくる場を、かたづけながら進んでいると、最後にかならず死後
の世界が来るんです。永遠に生きるというわけじゃないですから。
そうすると死後の世界いというのは、信じる信じないじゃなくて、かならず
来るものとして、覚悟してこれを迎えなきゃならないと思うんです。
【五木】 まさに覚悟ですね。自分を固定して考えると、いろいろな場がどん
どんやってきて、状況をつくりあげていきますから。
【帯津】 ええ。また、清水先生は、不安というのは、突きつめれば自分の
居場所がなくなることだとおっしゃっているんです。 死の不安とは、
この世に自分の居場所がなくなることですけれど、この世ではなくなっても、
あの世には、居場所があるとわかれば、死は、こわくなくなります。
かえって楽しみのようになります。
【五木】 いやあ、そう考えれば、こわいものではないですね。死後の世界は
あるかないか…ではなくて、かならず来るものとして覚悟するというのは、
いいことですね。「絶対ある」と覚悟したほうがすっきりする。
【帯津】 ええ。2年前に40代後半の若さで亡くなった哲学者の池田晶子が、
「池田は死ぬけど、私は、死なない」と書いていたけれど、要するに「池田」
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04月03日(土)
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