ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7116,閑話小題 〜二度目の大転倒!
それほど自立するのは難しい。だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業
のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
本人は「頭を垂れて自分の方から聞きにくるかの第一歩からして計画のチェック
をしにきているに過ぎない。」で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、
はい、さようなら!である。 何かをやろとしたら、準備、準備、準備が全て。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上
で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。
否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、
血と汗を感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化して
きたかが、大きく左右する。それとて死んでしまえば皆、同じ。
――――
2013/04/03
隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』
天野祐吉、お相手 横尾忠則
* 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。
家内をみると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり
青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。
以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて
みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待
もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。
そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん
ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。
世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居
生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い
をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、
表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期
に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう
改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい
人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。
家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。
誰?それ!
―――ー
2015/10/13
野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?
飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
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09月07日(月)
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