ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7025,閑話小題 〜根深い人種差別の問題
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
・・・・・・
5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい
2016年06月08日(水)
* 私の住みたい社会
雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。
リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧?
のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も
肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に
近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした
6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・
サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で
コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。
これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。
他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。
≪ ☆「私の住みたい社会」 青山文平:
「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても
楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、
どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが
なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。
しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した
楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ
よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い
て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、
年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると
言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが
なくても楽しめる社会」でしょう。
私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車
さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念
ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は
数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った
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06月08日(月)
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