ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384442hit]

■6959, 閑話小題 〜エイプリルフール
   たとえば宿命的でない一時的な場となると「広場、市場、酒場」、さらに
   修羅場、正念場」とさまざまです。そして、われわれはいつもいずれかの
   場に身をおき、ひとつの場を去るときは、新しい場を迎えるときです。
【五木】 なるほど。
【帯津】 いま、こういう場に五木さんと私がいて、対談が終わると車に乗り
   家に帰り、また仕事場や一時的な場に入るというように。清水先生は、
  「自分を固定してみると、場が未来からどんどんやってくる」とおっしゃった
  んです。それを聞いて、先生はずいぶん上品におっしゃったなあと思いました。
【五木】 というと。
【帯津】 私には、「場は未来からおそいかかってくる」という感じなんです。
   それで、おそいかかってくいる場を「予感」と「直観」で選別し、取捨
  選択している。いい場だったら、そこに居すわってみよう、悪い場だったら、
  体をかわしてやりすごそうと。そういうことを予感と直観でやっているんだ
  と思うんです。それが、われわれが生きているということでして、つぎつぎ
  襲いかかってくる場を、かたづけながら進んでいると、最後にかならず死後
  の世界が来るんです。永遠に生きるというわけじゃないですから。
  そうすると死後の世界いというのは、信じる信じないじゃなくて、かならず
  来るものとして、覚悟してこれを迎えなきゃならないと思うんです。
【五木】 まさに覚悟ですね。自分を固定して考えると、いろいろな場がどん
   どんやってきて、状況をつくりあげていきますから。
【帯津】 ええ。また、清水先生は、不安というのは、突きつめれば自分の
   居場所がなくなることだとおっしゃっているんです。 死の不安とは、
  この世に自分の居場所がなくなることですけれど、この世ではなくなっても、
  あの世には、居場所があるとわかれば、死は、こわくなくなります。
  かえって楽しみのようになります。
【五木】 いやあ、そう考えれば、こわいものではないですね。死後の世界は
   あるかないか…ではなくて、かならず来るものとして覚悟するというのは、
  いいことですね。「絶対ある」と覚悟したほうがすっきりする。
【帯津】 ええ。2年前に40代後半の若さで亡くなった哲学者の池田晶子が、
  「池田は死ぬけど、私は、死なない」と書いていたけれど、要するに「池田」
  とレッテルをはられた自分の肉体はほろびるけれど、命はずっと存続し
  つづけるということでしょう。どうも、この考えかたが、私にはあたってる
  ような気がしてしょうがないんです。
   夏目漱石も、死後の世界はあると考えていたようで、「死んでも自分はある。
  しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と、門下生
  への手紙で書いていますね。
【五木】 なるほど。

▼ 10年前に、自分の死期を75歳に定めた。その時から逆算して、その時点時点
 に何をしておくべきか考えて行動指標にしてきた。その時点時点が、「場」に
なり、死の瞬間のブラックホールのエネルギーの力が加わったような。
それぞれの人にとって、「死」が最大の『場』になる。
 我々が住む宇宙は138億年前のビッグバンから生まれた。その中に星の消滅など
でブラックホールといわれる、吸込まれると二度と戻ることが不可能な穴。その
行先が他宇宙で、11次元の世界という。〔死〕とは、その穴そのもの? その
他宇宙が、あの世と考えたくなるが、そんな訳はない。変な物体が消滅するだけ。
直径276億光年の時空を持つ我々宇宙の外に、「10の500乗の多宇宙」が存在とは、
考えるだけで楽しくなる。それらも、『場』である。あの世も、この世も、同じ。
こうも言える、「いま、ここ、私」の刹那刹那が、『場』。
「生まれて死ぬまでの生涯が、私の人生の場」。その周辺の暗闇の一点の光を
愛おしく見つめるのが追憶ですか。
 
 追:7年前の、以下の文章からして、友人の場合の(場)の意味が読取れる。

・・・・・・

[5]続きを読む

04月03日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る