ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6397,閑話小題 〜左手薬指の秘密 〜2
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
@ 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
A 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、特定の
行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。この免責
の好例は、恐らく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛だろう。それは
一向に捗らない。その理由は明らかである。私がやめても、どうにもならない。
皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を転嫁し、自分の行為
に目をつぶる。 このとき、世間や他人が自分の保証人になっている。世間は、
そのようなことは、皆がやっているという理由で、個人の責任を免責する。
では、世間とは、いったい誰をさすのだろうか。それは誰でもない。つまり、
世間は、個人の行為を保証する。しかし、保証人としての責任を負う者は、誰も
いない。世間は、他人の責任を免除してくれるが、責任は負わない。こういう
性格を持ち、世間に埋もれて生きる生き方が、世人の日常的なあり方である。
ハイデガーによれば、世人は、目先のものに気を奪われ、平均的な考えに従い
無責任に行動し、自分自身の存在を真剣に考えない。しかし人は、あるとき、
自分自身の存在を意識し、なぜ自分が存在するのかを問い、非本来的な生き方
から、本来的な生き方をするようになる。では、いつ人は、自分自身のあり方を
真剣に考えるようになるのだろうか。それは、他ならぬ自分自身の死に直面した
ときである。他人の死ではなく、自分自身の死に直面することによって、人は
自分自身の人生の有限性に気づき、そこで初めて自分が生きていること、自分
自身が存在していることの重みを自覚し、自分自身のあり方を真剣に考える。≫
―
▼ 世人そのもののような男が、「進行ガン」が発見され動転して、世界観が
一転して哲学的になったいた。 26歳の頃、父親が余命1年の末期ガンが発見
され、修行先の金沢から呼び戻されて、父の生への心の渇きの一端に触れること
に相成った。この学びは、人生感を一変させてくれた。「何はともあれ、死んで
しまえば、それまで。世間、世界は夢幻。出来るうちに、好きなことを、好きな
だけ、すればよい!」
創業を目指すということは、全て直接、自分に責任がかかる。言訳する位なら、
平凡な人生に甘んじればよい。それを乗越えるには、常日頃から、考え、考えて、
考えなければならない。学ぶほど、生きるほど哲学的になるのは、ごく当然。
「死」こそ、非日常性で、虚構の世界を壊す、今を出現させてくれる。≫
――
ーさらに4ヶ月前のテーマと内容ー
≪ 2016/05/14 哲学者は、世間人を、「世人(せじん)」という
* 日常性と非本来的な生き方
人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
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09月18日(火)
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