ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5774,閑話小題 〜シェルター内事情
電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式
アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。
ーアマゾンの読者レビューからー
《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を
使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション
の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。
まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース
従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で
パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の
インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。
米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、
ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》
・・・・・・
4312, 幸せはいつうもちょっと先にある −2
2013年01月05日(土)
「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著
幸せの意味についての切り口が、分かりやすい。ーまずは、その箇所から
* 3つの幸せ
≪「幸せ」という言葉には少なくとも3つの関連することがらを表すのに
使われる。「感情の幸せ」「道徳の幸せ」「判断の幸せ」である。
○ 感情の幸せとは、気持ち、経験、主観的な心理状態の表現であり、
物理的の具体的何かを指すものでない。幸せはこの時代に生きる人が
暗黙的了解で通じる気持といえる。
○ 道徳の幸せとは、「○○だから幸せだ」になる。感情の幸せなら、
排便への幸せに少し似ていると考える人が多い。それは低俗で安っぽい、
意義ある人生の基盤になりえない空虚な牛の充足状態でしかない。
哲学者のミルがいう「満足した豚であるより不満足の人間のほうが良い。
満足した愚か者より、不満足のソクラテスである方が良い。もし、愚か者や
豚がこれに異を唱えても、このことを自分たちの側しか知らないからだ。」
哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違い
と、架空の仮想現実装置を使って説明した。「この装置があれば、誰もが
思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを
忘れることができる。彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う
人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも幸せで
ないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には
相応しくない目標ということ。
○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとに
ついての価値判断について幸せという言葉を使う。妻がタヒチに半年の
赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、
君が幸せなら僕も幸せだよ」という場合である。ここには、自分は幸せで
ないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫
▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ
仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を買い集め、茶会を開き
楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば
幾らでもある。この3つが混同している典型的事例である。感情の幸せを
追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、本来の質素倹約を
忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。
しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。
フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」
を意識して、バランスよく追求すれば、空虚な気持ちはないはず。
「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」
ということか。
・・・・・・
3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
* 年末年始
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01月05日(木)
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