ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4885,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜2
なにも表現しないセッションもあります。ただ砂にさわって砂遊びをしているだけのセッションもあります。
こんなセッションのときでも、治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。 ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、自分の庭に配置する。
それを、小さな箱内でやるのだから、面白いといえば面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが
表現できないが、玩具を箱庭に気ままに配置すると、自分の中の精霊が知らないうちに心の底から湧き出て
きても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な面白さがあるはず。
他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、
課題を乗り越える。この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。
言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の組み合わせは、それを取り除き具体的な
モノを組み合わせることで自分の心が表現される。 この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
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3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。出席者が
67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者。
4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、
何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり泣いていた人がいた。
私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、
転居をしたために、還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、
そこから抜け出せないのが人生。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を
重ねるごと実感する。それにしても、幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
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3038,明日になれば何とかなる!
2009年07月30日(木)
これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。
そして長い人生で色いろ経験して分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。
で、今は問題の中心から目を外さないこと。明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している
範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」である。
「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、心に迫ってくる。
創業時の不安感は、底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。
そういえば一休の逸話があった。 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。そして・・・
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07月30日(水)
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