ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4864,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー32
* 疑似民主主義の第四徴候群とは、批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しく欠けるということである。
  個人や社会のアラ捜しをすることは、易しいが、問題解決の提案は骨の折れることであり、責任も生じる。
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定する
  ものでないばかりか、それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを否定するなら、その結果として、
  どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。 疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
  大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、その制約条件を覆いかくそうとする。
  こうした偽善的なポーズで、大衆の人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。 】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党になった結果、収入の二倍の国家予算を組み、
 動きが取れない事態をつくっても平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、それにしても酷い。
・・・・・・・       
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
 NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどでないと見過ごしていた。
しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビアの内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の
息子が中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせたいのに、その彼女が、母親の目には下流家庭の娘。
 その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」
というところで、終わった。しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、猛勉強で今さら! が現実。
 私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは上・中流など全く意識にはない。
自分のことを一番知っている? しかし学歴と学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
 ・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だからこそ、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。」は、分かりやすい。
  = 哲学とは =    (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求めるものでもなく、人間が共に語り合って確認しあう過程のこと。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
 ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中することである。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、
 哲学することは不可能である。

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07月09日(水)
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