ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22
このままでは自民党か、維新の会とかいう関西系弁護士の新興勢力に取ってかわってしまう。
近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢チルドレンは、殆ど落選する。
ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば
過半数か、三分の二を残したい。さあ、芝居の始まり始まり。恐慌と大災害の中では消費税の
増税など当たり前のこと。その前のすべき国家的リストラなど、この国の体質では無理なのは
自明のこと。宗主国のアメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。
自民党だけには、二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 
政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。
・・・・・・
3745, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −16
2011年06月27日(月)
                 ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。
しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係の文庫本を借りてきた。
その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。
 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなり
ジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。
 たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった
昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、
演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、
再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、
といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」
というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 
 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっている
ことが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・
要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、とりわけ
現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。
 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。
またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、
いったい何をどう聴いていいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのか
よくわからない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズマンたちは、
いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】
▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを証明するための
 利用対象にしている。曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。その個性的演奏がジャズの

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06月27日(金)
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