ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネを大量に
投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで良い」と著者もいう。
 ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、古手のガン患者が、こっそり、
のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけている現場に案内、隠れ見る場面があった。
 義兄のガン末期の似たような場面を聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を
掻き毟っている姿もみた。三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。 
元気なうち、出来るうちにすべきことを成すべき。 アル中や薬中には、モルヒネは普通の
人の数分の一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
   * 幸福とは          「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の
目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな
姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界では
ない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像し
きれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の悪いことで
ある。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに
違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。
それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る(殊に若者にとっては)。 
だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という
質問をさまざまな分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味ではなく味わいだと
私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは
「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと
感心させられた。老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるように
なるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、
満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。
こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人に
はむしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に
甘んじたとき)。こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の
屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら
気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを

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06月07日(土)
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