ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4760,そんなに長生きしたいですか ー8
で、何だったのだろうか? 常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。ここで何年に一度、
書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない存在になっている。常に変わったことや、面白いことに
出合うと、その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、
現象に隠された本質を、あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 
この随想日記を休むことも考えている。 一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。 それにしても、10年も続いたものと
自分自身が驚いている。「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 それを分かっていても、
偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある
膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 
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3288, 人みな骨になるならば ー6
 2010年03月27日(土)
  * 意味の意味
 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー
 いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるかどうかという問題に対しては客観的な解答が
あるのではなく、各人が自らの人生に意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。
これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」
といっているだけなのである。 だれも、われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。
われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みに
すぎない、と言わんばかりである。 そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする
あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいかを判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか
「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと同様に、古代人の日常生活の中から
生まれてきた概念である (全ての言葉がそうなのだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、
毎日の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つものかどうかが最大の関心事であった。 
そして、自分や身内にとって大切なことが、すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。「目的」もまた本来は、
欲求の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を講じなければ到達点にすぎなかった。
・・・たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。それらもまた木登りや航海と同様、一つのプロセスには
違いないから、「結果」はあるであろう。 あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。
その結果を意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は消滅すること、ないし永遠に
溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。

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03月27日(木)
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