ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393794hit]

■4457, 今日は父親の命日 ー40周年
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」というのが持論にあった。 
それは教養によってベースが築かれることを彼らから学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、
それがバネになっていた。 日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝は5時に起き、仏壇で祈り、新聞を隅々まで読むのが日常だった。
その辺は私も同じで、これは家の文化(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、
株屋ぐらいしか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と最小限度しかとらなかった。
(当時は、それが一般だったが) 年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬときのイメージは両親の手に引かれ、
光の中に消えていく光景になるだろう。 毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になるのである。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、それを重ねることで、魂に熟成していくのである。
音楽家は音楽で、仏像師は仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
・・・・・・・・
2977、父親の37回忌に
 2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、もう36年になる。命日に何度か父のことを書いたが(後でコピー)、
テーマにすることが供養になると思い書いてきた。父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、父が43歳の時に産まれたこともあった。 
そのために幼児から少年期の記憶に、父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、父が何時も
私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて
精神的に独立をすることが出来た。(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳だったが、
その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、
その段差には大きい。まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで家を中心に常に考えていた。
父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なっており、そのことを事あるごとに話をしていた。 
特に長岡の戦災体験は生生しく残っていたようだ。  また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、まさか20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・父を思い出すというより、父の視線で世の中の
変化を見ている自分がいる。命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響していることがわかる。
その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで私らしさで、そのまま結構なのか?
いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。 
 それに引き換え私ときたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と合体したような
不思議な夢について書いたことを思い出した。 その辺のことを書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。

[5]続きを読む

05月30日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る