ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3752, 創業と 野良の話
勘違いされることがある。 その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを
売りにしている旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が
[東北の妖怪・特集」であった。
ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
*「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、
2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、
子供の姿をした妖怪。これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
座敷童子は、大人には見えないというが、これは私の経験に反する。私は確かに2006年1月17日未明、盛岡市の旅館「菅原別館」で
座敷童子を見た。2005年末に私は座敷童子を見たという話を鈴木宗男衆議院議員(新党大地.代表)から聞いた。
ある日、鈴木氏から興奮した調子で、電話がかかってきた。「佐藤さん、出たんだよ。出た」「出たって、何が出たんですか」
「だから妖怪だ。座敷童子が出たんだ。盛岡に菅原別館と言って、その筋では有名な旅館があって、そこに座敷童子が出る。
その座敷童子に会うと、幸せになる。村上正邦先生から、そのルートに口を聞いてもらった」・・・・・・・
座敷童子に会いたい全国の人々が殺到するので菅原別館は、2年先まで予約がいっぱいだという。
(字数制限のためカット 2011年7月4日)
・・・・
2007年07月04日(水)
2283, 10歳の放浪記 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。
父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋の兄さん、
やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにある
ホテルメトロポリタンだ。かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。
昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。
10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
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07月04日(月)
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