ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395109hit]

■3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4
解りやすい事例として、イチローが大リーグで超一流の選手として認められたところで、
「ああ、そういう人がいる、凄いな~」で、それはそれはご立派なことで!と、頭に過ぎってお終い。
それより、それぞれが自分の好きなことを見つけ、それぞれの楽しみを求める時代になったのである。
それは考えてみれば当たり前。それだけ、社会が成熟したということだ。第二次大戦後、マッカーサーが
日本を占領したとき言ったのが、「日本人は10歳の子供」である。欧州から見れば、そんなものかも知れない。
といって、西欧が未開の原始人より文化が進んでいるということではない。
モダン=大きな成功とやらを求めた時代は終わったのである。これを解りやすく書いたある本があった。
『世界をよくする現代思想入門』高田明典著である。 情報化社会は、ポスト・モダン主義をますます加速させる。
日本は、いや世界は、9・11が現象として大転換期と日となる。その意味で、あの男ービンラディンは歴史に残る。
アメリカ現大統領は、「アメリカの凡庸・親子大統領の息子」として歴史に留める。
私が生きた戦後のアメリカ大統領では、その意味ではカーターと肩を並べる??の人物。 その程度ということだ。
  この本の一部を抜粋してみるー  P-158
   ーーーーーーー
20世紀を特徴づける概念として「大きな物語」があります。
私だちの社会は、二十世紀前半(モダン)の社会において、「大きな物語」を信じて突き進んできました。
その大きな物語とは
・「理性・知性によって社会は必ず理想郷へと近づいていく」、
・「科学は、私たちを幸福にしてくれる」というものであり、
・「勉強すれば社会的に成功して幸福になれる」であり、
・「お金持ちになることが、人間の幸せである」などなどの「物語」であった。
 二十世紀前半においては、多くの人たちがそれを「信じて」いたが、
一九七〇年代以降、そのような「大きな物語」を信じられなくなるような出来事が多く発生し、私たちの心の中に
「不信」が発生しました。科学は私たちの社会を「幸福にする」どころか、むしろ「不幸にする」ものでもある。
知性や理性によっては「理想郷の実現」はできそうもない、ということです。
そのような状態を「ポスト・モダニティ(ポストモダン状況)」と呼ぴます。
そのような「大きな物語への不信」の中で、芸術表現はいったい「何ができるのか」ということを考えたのが、
ポスト・モダニズムのそもそもの端緒でした。 なぜなら、それまでの「表現制作物」の多くは、
「その社会や文化が信じている価値の表現を行う」ということを、その駆動原理としててきたという側面があるからです。
「大きな物語」が崩壊した今、「何を表現すればいいというのでしょう。
もちろん、「次の時代を担うような価値観の提示」さえ、忌避されます。
もはやそのような「大きな価値」「支配的な価値」さえ信じられなくなっているのが、現代の私たちです。
この二十世紀末から二十一世紀にかけての表現分野は、すでに「ポスト・モダニズム」のような様相を呈しています。
 (字数の関係で中間カット2008年9月2日)
 ーーー
 面白い時代である。ただし、それぞれが自分で考え、決断しなければならない厳しさを要求されるのである。
それぞれが自由を見出し、そこに価値=意味をつくらなければならない。                
                           (○´ω`○)ノ**SeeYou Again! dato  
・・・・・・・・・
2006年09月02日(土)
 1978, クルマが売れない!   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning       
ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。
車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。これまでの車は30年から40年前までの時計みたいなもの。
ロンジンとか、ローレックスとか、持っているだけで偉そうな錯覚をさせるイメージを加えて売っていた。

[5]続きを読む

09月02日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る