ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3139, 「法則」のトリセツ −4
これほど不思議な瞬間はないのである。こうなると哲学になってくる。あたりまえのことに、驚きを立てることである。
偶然、去年、池田の「あたりまえのことばかり」の書評が書いてあった。
面白いものだが、彼女の「あたりまえ」のことは、普通の人のいう「あたりまえ」とは全く違う。
「あたりまえ」と思っている全ては「あたりまえじゃない」ということ、それを全て疑いないなさいということが、
「あたりまえ」ということを言っている。 少し、ややこしいが・・・
・・・・・・・
2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著 ー 読書日記 (。^0^。)オッハ〜
この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること?
まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
ーー
ー 考えるとはどういうことか ー
*私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
毎日を生きているわけ。
*キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
*どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
(字数制限のためカット09年11月8日)
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2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
ー「メタモルフォーゼ」ー ?
<意識の変容>
一万年続いていた農耕社会の重心が、工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、
狩猟社会の本能が再び目覚めようとしている?のか。
北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な関係を基本とする小グループを形づくってきた。
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が 「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。
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11月08日(日)
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