ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3113,イチロウの言葉
 本文を読むようにしている。それも飛ばし読みである。そうでもしないと、短時間で、読みこなせるほど軽くはない。
 この本の冒頭に松藤氏が、解説をしているが、この文章も簡潔に、そのものズバリにまとめてある。お勧めの本である。

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2007年10月13日(土)
2384, こころの旅  −1  
 「こころの旅」神谷 美恵子 (著)

藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、
もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を
感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
この本は「こころの峠」の、それぞれの年代に焦点を当てて優しく語りかけている。この本のどの部分を読んでも深い魂から
呼びかけてくる声が聞こえるようである。この本は十章から構成されているが、一章ごとに過去を振り返りながら読める。
人が死ぬのは肉体だけで、「こころ」は何時までも残る、と感じさせる本である。 
人生で何か一番大事な部分から目を離していたのかもしれない。 この本の最終章に、この本の要約が書いてあった。
一番感じたことは「こころ」に「よろこび」が必要ということである。 アホかと思われるかもしれないが、
「こころ」に喜びはシャワーのように浴びせてきた。それが人生を振り返り、一番良かったと言えることである。
ーまずは、その中から一部をコピーしてみる
 ーー
からだにとって空気や水や食べ物が必要なのと同様に、「こころは生きる喜びが必要である」ことは一生を通じて
変わらないことであった。
(以下、字数の関係上カット、 09年10月13日)
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2006年10月13日(金)
2019, 「私」のための現代思想  −11
      (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。
「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。
「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。
《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。
    <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。
    そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の
    存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。

第四章「私」にとって「他者」とは何か  −?
  =「ともに生きる」ということ=
 −なぜ人は顔を露出するのかー
<他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。
実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。
つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。
そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に
「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、
顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。
「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日)
  
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2005年10月13日(木)
1654, 北イタリア旅行記−5 

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