ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3110,生きる幻想 死ぬ幻想
が希望にあふれている。 つまり、会社と男性と親に束縛されない女性が幸せ」というから驚きである。
考えてみたら、それが当然なのかもしれない。ただし、心の中は別なのだろうが。
すぐ辞めていく若い社員を見ていると、実際のところ似たようなパターンが多い。
ただ、長い目で見たときに、それは不自然であり、何らかのカタチで自分に跳ね返ってくるのが解らないのだろう。
その基礎教養すら持ち得ない「ゆとり教育の落とし子」と見ると理解できる。競争社会では、一部の人を
除けば夫婦で働かなければ生活できない。そこで共働きというが、ゆとり教育で育った女性は、家庭、会社、
両親に束縛されたくない。それは解る、しかし、その先にあるのは、その誰にも相手にされない未来がある?
その時は、やはりミスマッチの男はゴロゴロしているから、選りどりみどりか!
                      オマチシマース.:☆。:ヾ(´Д`、)  マタネ !
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2006年10月10日(火)
2016, 「私」のための現代思想  −9
             (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
*まずは第四章の内容を大まかに書いてみる
 この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。
「他人」と「他者」の違いと、「他者」は「私」にとってどういう位置づけなのか?
 その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。「私」は<他者>の「声」の存在を通して
「境界」の存在を察知する。その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。他者との境界が、
内なる《私》をつくっていく。他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。
この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、明確な「形」をもつようになります。 
これが《私》の発生です。《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。それがいつの間にか、
私の境界を守るようになる。それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。
その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、その姿が「他人」となる。
「他人」の姿は、《私》が自分の物語のためにつくり上げた「他者」の像でしかないのか?
そう考えると、全くその通りでしかない!
 ー以下は、要点を抜粋した内容であるー
第四章 「私」にとって「他者」とは何か −?
 この章では、私たちの存在の核である、《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を
所有することを考えていく。他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。
とは何か」ということから考えはじめる。ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、
その物語を遂行する際や、世界認識において、と対立します。とは、異なる物語を生きる者たちの
集合体なので、そこに行き違いが発生する。行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。
の存在を想定することによって、を所有することができるのです。
ーレヴィナスの <他者>−
(以下、字数の関係でカット2008年10月11日)
                      モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~
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2005年10月10日(月)
1651, 北イタリア旅行記−2   ードロミテ渓谷ー

オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は
感動の連続であった。オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、
その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。イメージとしてスイスに酷似しているが、
210?にわたる道路からみる景観は今回の旅行のハイライトであった。その中で、やはりボルドイ峠にみる
カレッツァ湖の美しさが感動的であった。石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。
山と空は、その地域特性をそのまま露出して見せてくれる。観光初日で、既に感動のピークになってしまった。

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10月10日(土)
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