ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3
まずはー大江健三郎『燃えあがる緑の木』ーから、印象的な部分を抜粋してみる。
ここでは、 大江健三郎の魂に対するイメージを鮮明に言葉にしている。「亡くなった人が、生まれる前から割り当てられていた、
森の樹木の根っこに戻っていく」 自分の両親は、どの木に戻っていったのだろうか?もし両親に、「この木と思う!」
と言われていたとしたら、 墓より意味は深いはずである。「自分の木を見つけておきなさい!」という言葉にハッとした
ことがあったが・・ 今度は本気になって、自分の木を探すことにした。知人の別荘?に大きな大きな藤の木がある。
多くの花が咲いた写真を見せてもらったが、祖先が集って咲いているのだろう。
そして、そこの根元に自分たち家族も行くと思うと心が安らぐはずだ。そこには会いたくない人もいるのかもしれない?が・・
多くの先祖が集っていると思いながら手入れをすれば、楽しいだろう! 自宅にも藤の花がある。
あれが母で、梅の木が父と思うと何か庭が違って見えてくる。 そうだ私達の木を植えよう?
あまりそういうことを考えると、ここから出れなくなる!
ーP・50
「家庭おける環境が持っている『癒し』の力から、私は核時代の病んだ社会に対する被爆者の『癒し』の力を考るにいたりました。
(字数の関係でカット09年10月8日)
・・・・・・・・・
2006年10月08日(日)
2014, ゴミ少女 −1
おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると、ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。
電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。
その写真と手記を書いているのが、インドやネパールなどの写真で知られている写真家の藤原新也なのである。
文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で「こんな写真」と「クソ女」という過激な文章を書いているのかと、
さっそく借りてきて読んだ。
特別寄稿のテーマはータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】である。
話は変わるが、長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。
本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。
そうそう、地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・
数年前のことになるが、女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを
隠すスタイルで座っていた。そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。
私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。
「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。
恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、このレポートは、その代弁をしているような内容である。
ーその書き出しのところを書き出してみる。
−−
[ゴミ少女]
ネットで話題になった一枚の写真がある。JRの車内。女子高校生の通学風景である。
K駅から乗り込んで向かい合わせのシートに座り一息ついたとき、前方を見てギョッとした。
これまでにも挙動の乱れた女子高校生を何度も目にしているし、昨今そのような風景を目にすることは珍しいわけではない。
しかし、その日の景色は一味違っていた。それはなぜか昔見た『ソドムの市』という映画の奴隷船のシーンを
思い出させるほど恐ろしく弛緩している。 携帯していた簡易なデジタルカメラを取り出し、座ったまま
ひとつシャッターを押す。立ち上がって構図を決めず、そのままの姿で撮ったのは乗客の視線を維持したかったからだ。
ー
(字数の関係でカット2008年10月8日) ーつづく
後記)それにしてもが、以前書いたが画家や写真家の文章は鋭い! 一瞬の現象の本質を捉えるからだ。
この写真、このHPの‘バードウオッチ’のコーナーにリンクしてあります。
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10月08日(木)
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