ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395540hit]
■3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
しかし、この時代まさか結婚をしない訳にはいかない。天皇制を緩める意味で、女系天皇とその子供の天皇継承を
認めるのもよい。しかし紀子妃の男子出産で、次の次の天皇は紀子妃の男児に継承される可能性が大になった。
そうすると、次の天皇を皇太子が辞退ということもあり得る。
雅子様もそれでノイローゼが軽くなるだろうが、その判断は皇太子本人の意思?になる。
こういう直後に、意外と雅子妃の懐妊があるもの。どうなるか、時間が経たないと解らないが・・・
雅子妃もホッとしているのは、間違いないだろう・・・
ー関敬六という喜劇俳優が亡くなったー
関敬六といえば、TVが出始めの頃から脱線トリオの一員として、 由利徹、八波むとし、南利明等とトリオを組んで
茶の間を笑いに包んでいた。また谷幹一と渥美清と三人のコントを今でも思い出す。 何とも人間味溢れた役者であった。
新聞に、その彼の訃報が出ていた。男はつらいよにも、端役としてテキヤ仲間としてでいていた。
これで渥美清も含めて、全て亡くなったことになる。 一つの時代の終わりを告げているのだろう。
(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年09月07日(水)
1618, 楽しく生きるー3
「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、
いう意味で言っているのではない。目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。
前回書いた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。
ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。
すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。
その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した
「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、欲求は動きまわる「動」である。
楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。
ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分に出会うことが、
「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
ー以上が、この本の概要である。
<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
[5]続きを読む
09月07日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る