ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3072,コカコーラのビン
二十世紀前半においては、多くの人たちがそれを「信じて」いたが、
一九七〇年代以降、そのような「大きな物語」を信じられなくなるような出来事が多く発生し、私たちの心の中に
「不信」が発生しました。科学は私たちの社会を「幸福にする」どころか、むしろ「不幸にする」ものでもある。
知性や理性によっては「理想郷の実現」はできそうもない、ということです。
そのような状態を「ポスト・モダニティ(ポストモダン状況)」と呼ぴます。
そのような「大きな物語への不信」の中で、芸術表現はいったい「何ができるのか」ということを考えたのが、
ポスト・モダニズムのそもそもの端緒でした。 なぜなら、それまでの「表現制作物」の多くは、
「その社会や文化が信じている価値の表現を行う」ということを、その駆動原理としててきたという側面があるからです。
「大きな物語」が崩壊した今、「何を表現すればいいというのでしょう。
もちろん、「次の時代を担うような価値観の提示」さえ、忌避されます。
もはやそのような「大きな価値」「支配的な価値」さえ信じられなくなっているのが、現代の私たちです。
この二十世紀末から二十一世紀にかけての表現分野は、すでに「ポスト・モダニズム」のような様相を呈しています。
(字数の関係で中間カット2008年9月2日)
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面白い時代である。ただし、それぞれが自分で考え、決断しなければならない厳しさを要求されるのである。
それぞれが自由を見出し、そこに価値=意味をつくらなければならない。
(○´ω`○)ノ**SeeYou Again! dato
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2006年09月02日(土)
1978, クルマが売れない! Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。
景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。
車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。これまでの車は30年から40年前までの時計みたいなもの。
ロンジンとか、ローレックスとか、持っているだけで偉そうな錯覚をさせるイメージを加えて売っていた。
ステータスシンボルの要素が大きかった。ところが現在は、どんなよい車に乗っていても何の価値も感じなくなった。
むしろ頭の軽さが目立つだけだ。この情報化でモノ、コトへの価値が見え始めてきたのだ。
7月の新車販売台数が(軽自動車を除いて)13ヶ月連続で前年実績を下回ったという。
軽自動車を除くと、13ヶ月も前年を下回ったのは1968年以来という。 (軽自動車を含めると4ヶ月連続の下落)
あれだけ騒がれて登場したトヨタのセルシオの国内販売が、当初予定していた計画を遥かに下回ったという。
この背景には日用品化した以外に、消費の多様化がある。車に振り向けられた消費者のお金が、
デジタル携帯音楽プレーヤーや、薄型TVなどの家電製品や、携帯電話の通話料に向けられているためだ。
確実に消費者の欲しいものの中の、順位が下がっている。かって本田宗一郎が「ライバルは同業者だけではない!」
といって言葉が、さらにシビアに聞こえてくる。車購入の中心だった団塊の世代の、車への興味も確実に下がってきている。
年功序列の賃金制度がホボ崩壊し、「いつかはクラウン」という購入パターンは過去のものになったこともある上に、
その年代が実質定年を迎えつつある。「クルマが売れない」というキーワードで検索をかけたら、
日産と三菱自動車の販売不振の内容が出てきた。かなり深刻のようだ。日産のゴーンの戦略も尽きてきたようだし、
鼻持ちのならない「三菱のブランド」が大衆に嫌悪感を持たれてしまった。
フルラインのトヨタ、若者・スポーツ感のあるホンダと、軽自動車のメーカーと、それぞれの特化が顕著になってきている。
ところで私自身14年近くトヨタのソアラに乗っている。前の型のソアラに4年半乗った後、新中古のソアラに乗り換えた。
現在もエンジンもしっかりしているし、車自体14年以上乗った車という古さを全く感じない。
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09月02日(水)
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