ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3030、卒業40年周年か〜 −2
もちろん、柏崎・刈羽原発の再開は、検討する以前の話である。『廃棄!』である。 再開など世界が許すわけがない。
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2006年07月22日(土)
1936, ローマから日本が見えるー14
(≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
第6章 勝者ゆえの混迷ー3
ー同盟者戦役ー
マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』という意味で利点があったが、
思わない副作用をローマにもたらすことになった。志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を働かせていく。
ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、兵役はいまだに義務のままだった。
彼ら非ローマ市民たちは、直接税を納めた上に『血の税』としての兵役に就く義務が課せられていた。
これに対してローマ市民は兵役が免除され、しかも直接税はもともと存在しない。
これではあまりの不平等である。こうして起こったのが「同盟者戦役」である。
イタリア半島の比較的貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、さすがに苦戦を強いられてしまった。
結局この戦いは、戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。戦役の二年目にあたるBC90年の冬、
ローマは「ユリウス市民権法」を制定、同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。
かってガイウス・グラックスが市民権改革を提案したのは、30年前のこと。人間とは、厳しい現実を目の前に
突きつけられてしか改革はできない。 しかし、この市民権を開放をしたのは大英断であったと言うべきである。
ースッラの登場と改革ー
マリウスはもともとローマ市民権さえ持たない出自で、軍団畑をたたき上げでのし上がってきた。
そして40歳でユリウス一門のカエサル家の娘と結婚する。
カエサル家はローマでは2流の家柄だったが、これで名門につながることになる。
マリウスが48歳のとき、北アフリカで問題が起こし、ハンニバル戦役時代に
ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスと同盟して戦った騎馬民族のヌミディア王国がローマに敵対する。
この戦闘に副官として参加し、功を上げたマリウスは執政官に当選する。マリウスが職業軍人を生んだことによって、
ローマ軍団の私兵化が問題になる。その後のポンペイウスやカエサルが軍団を自由に動かせ土壌を作ったことになる。
その後暫くは平穏な時代を過ごしたローマだが、市民権問題にことを発した同盟者戦役がおこる。これは、内乱と
いうにふさわしい戦役であった。しかしこの間に小アジアの勢力であるポントスがローマに反旗を翻し、ローマ領に侵攻。
同盟者戦役を和解で切り抜けたローマは、この戦役で功のあったスッラにオリエント戦線を担当させようとしたが、
マリウスがこれに抵抗した。スッラはイタリアを抜け出し編成中であった軍団を擁してローマに進軍。
これを制圧。武装クーデターによってローマを制したスッラだが、彼は私利におぼれることなくオリエント戦線の
重要さからギリシャに入る。しかしローマの後をたくしたキンナがまたもや反旗を翻しマリウスは復権し、ローマに戻った
彼はスッラ派の人々を片っ端から処刑をする。その直後にマリウスは病死。あとをついだキンナは小アジアに
ローマ正規軍を送る。一方スッラはギリシャで侵攻してくるポントス軍を数度に渡って破り、陸路小アジアに進撃し、
ローマ正規軍を打ち破る。このようにしてスッラは小アジアの安定とギリシャの制圧を完成。
キンナはスッラとの決戦をギリシャで臨み、2年の戦いの後にスッラの勝利に終わる。
そして今度はスッラがマリウス派勢力を処刑していく。当然マリウスの甥でありキンナの娘の夫であったカエサルも
目標にされます。当時カエサル18歳。しかし若年で何ひとつ政治活動をしていなかったことを理由に度重なる
助命嘆願にスッラも仕方なく承知する。この時、スッラは ”君達にはわからないのかね。
あの若者の中には100人ものマリウスがいることを”といったという。スッラの条件はキンナの娘との離婚だったが、
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07月22日(水)
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