ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
物理的確認がなければ、我われは「その人が死んだ」ということを、どこまでも理解できないことになる。
人類における葬式、葬送の儀式とは、この、理解できない他者の死を、理解しようとするための方策に他ならない。
文化的社会的なけじめを与えるのでなければ、我われは「その人が死んだ」といえない。
繰り返しになるが、死は存在せず、死は言葉としてしか存在していないからである。
子供が、他者の死を理解できないで、たとえば「オジイチャンどうしたの?」と聞いたときの答えが
親「死んだのよ!」 子「死ぬってどういうこと?」
親「いなくなることよ」 子「今どこにいるの?」
親「お空よ!」OR「天国よ!」
おそらく多くの子供が、この答えに納得する。何かが腑に落ちるのである。
無になることが理解できない存在者としての我われにとって、このような回答は何かが自然なのである。
これが大人になったときにも、基本的に変わらず「彼岸」もしくは「あの世」と名を変えて無自覚的に変わってないのである。
「死者への語りかけ」、しかし、多くの我われにとって他者の死を「他者の死」として一般化することは出来ないだろう。
「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」とは、フィリップ・アリエスによる卓越な分類だが、
ふつうに我われにとって問題となり得るのは、「二人称の死」としての他者の死であって、「三人称の死」
としてのそれではない。通りすがりに見知らない人の死は、人は泣くものではない。泣くのは見知っている人である。
我が死んだ子、記憶の中の死んだ子は、決して成長することはない。 肉体として存在せず、しかし、
記億としてありありと存在する子供と、生成する関係を共に生きることができずに、人は悲しむ。
悲しみとは、子供の死というより、むしろ記憶の所有だろう。
その人の肉体の消滅とともに、なぜその人の記億もまた消滅してはくれないのか。
−−
「お空の彼方」ー良い言葉である!お空の彼方からきて、お空の彼方へ行くのだろう。
熟睡も「お空の彼方」なのだろう。 たまに、帰ってきたくなくなることもあるが! いやないか?
ここがお空の彼方だものな〜
(*^_^*)\バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月27日(日)
1699, 人生の価値について −1 −読書日記
『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書 (-_ゞnemu (~O~)ふぁ
この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか
といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。
成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。
「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは
本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。
104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得させている。
♪〜♪〜 ((
匚P
ー90節の「希望について 」が、心に残った。
重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。
著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。
余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。
明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように
気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。
Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!! 死にたくない!
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11月27日(木)
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