ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2761, 金融危機・中国からの視点
その根本を間違えている。進歩させる力を育てるどころか、奪っているのである。
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家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、あるべき姿であるということである。
父親や、母親になってない両親の子供は、欠陥が出て当然である。
それぞれが違う家庭文化を携えて新たな家庭をつくるのは、簡単なことではない。
何処かに歪みが出て当然、しかし、こと子供教育は最低の知識と常識が求められる。
「こころの旅」や、この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにも
お勧めである。      「エッ!もう、遅い」 失礼しました。 
                SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・
2006年10月26日(木)
2032, 「私」のための現代思想  −16  
      おはよ〜!(~O~)ふぁ・・ さむい!

*以下の部分には深く考えさせられた
ー私たちのあらゆる行為や価値は、《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、
この世界で確実なものになります。<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生する。
また《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での基本的な要素であるという。
    
    ・「私」が、<他者>に「呼びかける」ことによって、その<他者>において、《私》の存在の引き受け」が発生。
    ・また「他者」の呼びかけに応じることは、相手を引き受けることになる。
    ・<他者>を‘もてなす’ことによって世界は広がっていく。 人に呼びかけ、呼びかけに応じ、
     そして他者をもてなすこと、これが世界を大きくすることということだが・・

何か一番私にかけていたような気がするが、呼びかけ、呼びかけに応じることが、私の世界を大きくするということが・・・
対象にもよるが、ライオンズ、ロータリーにでも入ることも世界を広める意味で重要?
その置かれた環境と状況の中で、それぞれの目的が自分に適うなら、それが自分の世界として適正な選択になるということか。 
他者にも色いろある。 世界の大自然も他者である。自分が関係する事物、人物すべて他者である。
情報を取るプロセスで、対象からの呼びかけに応じていくのであるから。

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第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −D
  ー<世界>をつくるー
 *<世界>を引き受ける者として生きる

前にも述べたが、私たちのあらゆる行為や価値は《私》によって支えられるものでしかなく、
さらに《私》は<他者>によって支えられています。そうされることで、この世界で確実なものになります。
この場合の引き受けられ方には、愛するものとして、子供として、友人だけでなく、敵として、憎悪の対象としてなど様々です。
ここで<他者>による引き受けは、呼びかけによって発生するということを思い出してください。「私」の存在(=《私》)は、
<他者>による呼びかけによって確実なものとなりますが、「呼びかけられた」側の「私」も、
必ず<他者>に対して呼びかけているはずです。 つまり、ここで「私」は、<他者>の存在を引き受けているということです。
こうした《私》と<他者>の相互の引き受けあいが、<世界>を構築していく上での基本的な要素です。
    その一方で、「私」を道具としてしか扱わない<他者>も存在します。この場合、
    「了解不可能な<他者>としてのあなたの存在」を引き受けないというだけでなく、
    単に道具や装飾品や遊具としての認識しているだけの状態が現れます。
    出会う人がすべて、充分に《私》の存在を引き受ける<他者>となるわけではありません。
    存在の引き受けには強度が存在し、強弱があります。
    《私》の存在が希薄であるとき、<私>の「超越確実言明」も希薄になります。
    それは、《私》という「基盤」を失うからです。私たちは「共存の場」において、役割演技を行います。

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10月26日(日)
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