ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2712, 大相撲が面白い!
ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。
すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。
その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した
「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、欲求は動きまわる「動」である。

楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。

ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分に出会うことが、
「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
 ー以上が、この本の概要である。

<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。
そのタイプを要約すると、ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。
もう少し早く気がつけばよかった。余白はあまりにも短い! 等々である。
「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。 魂が入っていれば、それでもよいか?

・・・・・・・
2004年09月07日(火)
1253, 死について再び考える

過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて死について考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、
その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、
灰に帰す。骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。

人生とは何なのだろうか?ー意味  その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成     何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
  答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。

ー生死の格言ー

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09月07日(日)
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