ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2590, イスラエルの話
またローマ軍の主体が重装備歩兵であったため、騎兵中心に変身しにくい要素があった。
重装歩兵がローマ軍組織としてあまりに中心過ぎて、これを変えるとローマ軍の
組織そのものが弱体化してしまう恐れがあった。
《ハンニバルの誤算》
ハンニバルが限られた手勢でアルプスを越えて、単身イタリア半島に
乗り込んできたのには、もちろん彼なりの計算があった。
戦いに勝ち続けていれば、ローマ連合も盟主ローマから離反し、
寝返ってくる都市が続出すると踏んでいた。
ところが、ハンニバルの予測に反して連合軍の連帯は強固であった。
ローマが長年かけて造り上げた「政治的建設」は、ハンニバルの心理作戦でも
揺らぐことは無かった。
茶でも!~~旦_(-ω-`。)
《スキピオ登場》
(字数の関係でカット、2008年05・08)
・・・・・・・・
2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
「どうせ死んでしまう」− −読書日記
「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ー
というコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。
ー面白そうなところを抜粋してみるー
P−39
ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は
現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・・・・・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。
「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得する。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、
一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。
つまり、「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)
川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の
完全に欠如した生物を考えてみよう。彼は次々と知覚しその内容を記録する。
しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、
そこに「いま」と「いま」の楔を打つことができないのである。
そういう彼は「私」という意識をもたない。
−−−−−−−
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。
「いま」は、過去の上によって初めて成り立つ、と解りやすく説明している。
そして、「いま」は想起能力がなければ存在し得ない。
「いま」を大事にするということは、過去を大事にすることになる。
過去を想起し得てこそ、「いま」が存在をする。それからみると、日記は「いま」にとって
大きな要素になる。文章として書き残すことは「想起のための楔としての記録」になる。
「いま」の意味を、もう少し納得するために記憶喪失を例に考えてみる。
先日レンタルDVDで観た[記憶のない男]の姿の中に[いま]の希薄をみた。
彼の「いま」は全く過去を持たないため、虚空を彷徨っているようであった。
その「いま」は小さな点ーエネルギーでしかないように見えた。
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05月07日(水)
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