ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2392, 人生で出会いしもの
   「受益を放棄した私」です。
   死んだ後に残るのは、「<他者>によって引き受けることのない生」としての
   《私》と、「超越確実言明」の束としての<私>です。

*「死ねば楽になる」は正しいのか?*
「死ねば楽になる」は、「死ぬ」−>「辛さから逃れる」と変換できる。
そこでの「辛さ」とは、束縛から逃れられないときに<私>が発生する信号である。
それは「私」が「逃れる物語」を遂行中であり、かつ、そこにおいて「自由が失われている」
ことを指している。
「辛さ」とは、<私>において発生し、<私>に含まれる概念であるということです。

    したがって、まず「どの物語が『辛さ』を発生させているのか」を
    考えるのが、論理的な思考であるはずです。それがわかれば、
    それを放棄すればよいだけですが、『生きること自体が辛い』
    という場合は、自ら死を選ぶことになっていまいます。

[<身体>の消滅]−>[辛さから逃れる]は、正しくありません。
なぜなら、[辛さ]とは<身体>に属する概念ではないからだ。
但し、
[<身体>の消滅]→[痛みから逃れる] は、可能です。

痛みは身体が発している信号なので、
<身体>が消滅することによって発生しなくなります。
[<私>の消滅]−>[辛さから逃れる]という図式を考えなくてはなりません。
これが[死ねば楽になる]という表現の意味です。 末期ガンの患者が望むそれ?

   <私>の思考は、すべて「超越確実言明」という基盤を支えとして、
   その上に構築されています。そして「超越確実言明の束」とは<私>そのものです。
   それに、論理は自己言及できないということを考え合わせると、
   <私>という基盤の上に構築された論理が、<私>を否定するという構造は、
   矛盾していることになる。そして、その結果として、「<私>の否定」を意味する
   「死ねば楽になる」という考えは誤りであり、成立しないことがわかります。
   −−
  以上だが、死ねば楽になるのは、身体の苦痛とそれに伴う絶望だけ。
 精神の歪みが「死ねば楽になる」と妄想させる。
 それでも、死にたくなるのは解るけど!
 だから、死後に天国のイメージを作りあげたのだろうが・・
 その一つが音楽、そして絵画であろう。
 毎晩、クラシックを聞きながら「ア〜よい一日だった!」と思いながら寝入っているが・・
 それでも夜半にマイナスの気持ちが襲ってくる。 それが人間じゃない?
 死ぬしかない時、「死ねば楽になる」と思えたら実際のところよいが、
 理屈は違うのです・・    まあまあ!
                Good.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye
・・・・・・・・・
2005年10月21日(金)
1662, 「人生の実りの言葉」−2
ー運命
 この章『運命』冒頭のモンテーニュの「エッセー」の一節がよい。

ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー
自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。
そして、いつも何事も修行と思えば、気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。
   高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った

    電車の窓の外は
    光にみち
    喜びにみち
    いきいきといきづいている
    この世ともうお別れかと思うと
    見なれた景色が
    急に新鮮に見えてきた

    この世が
    人間も自然も
    幸福にみちみちている
    だのに私は死ななければならぬ
    だのにこの世は実にしあわせそうだ
    それが私の心を悲しませないで
    かえって私の悲しみを慰めてくれる
    私の胸に感動があふれ
    胸がつまって涙が出そうになる

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10月21日(日)
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