ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる
・・・・・
河上徹太郎編 「中原中也詩集」より
-汚れてしまった悲しみに-
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。
特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。
深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。
24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、当時の自分の気持ちも、
この詩の心に似ている。
昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。
「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」が、
彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。
その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、
「何かに生かされている」ということに真に気がついた時に、
初めて一人で立ち上がることができる。 それにしても深い詩である。
・・・・・・・
2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −2
ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。
キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ印象深い文章を書き出してみる。
私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。
自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?
その瞬間に思ったことは
「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。
学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。
その時から、視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。
分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。
この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、
暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。
過去を考えてみると、全てがレッスンであることが理解できる。
人生は学校なのだ。現象は神があたえた教科書の練習問題。
何故、その問いに答え続けなくてはならないのか?それが生きるということだから!
ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 2003/10/29
各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。
「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々をわかりやすく
説いている。すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ
死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
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04月16日(月)
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