ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2133, 閑話小題
人口減少下の生活設計も根本的に変えざるを得ない。
ソ連の解体と同じ結果が待っているのだ。
解っていても、どうにもならない事態である
勝ち組は一部に限られ、大部分は負け組みという形で収入は激減する。

いずれにしても、これからの若い人にとって「断絶の時代」が待っている。

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ーある書評
日本経済新聞 朝刊
(2004年6月20日掲載)
 
「人口減少経済」の新しい公式、
方策の問題点突き、通念崩す
――松谷明彦著

 一国の経済の運営は長期を考える「参謀本部」を要する。
日本ではその役目を霞ケ関が担ってきた。
この本の著者はまさに霞ケ関出身であり、その使命にふさわしく、
長期を熟慮した大いなる問題提起の本を書いた。
人口減少という、避けてとおれない重要事をつきつめて考察し、
しばしば提起されるふたつの逃げ道のあやしさを衝(つ)く。

 ひとつは出生率の上昇である。
働く女性がふえてもスウェーデンのように子育てと両立する雇用慣行、
ファミリフレンドリイな施策をとれば、高齢化は防げる、という方策である。
他は、昨今の経団連の提言のように外国人労働者をいれて問題を緩和しよう、
という方策である。

 このふたつの提案を人口の分析というきわめて確度のたかい根拠から否定する。
出生率の回復をまつ前にもう高齢化がきてしまう。
そして外国人労働者で人口高齢化をふせぐには、二十五年後までに
二千四百万もいれねばならず、しかも問題の先送りにすぎない。

・・・・・・・
2004年02月04日(水)
1036, 一人遊び −2

以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。

一人遊びができれば人生の問題の大部分を解決できるだろう。
自己完結をしたことになるからだ。
一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、一人で考え、一人街を歩き、
一人買い物をして、一人で旅に出て、一人仕事をする。
一人遊びは人生を通して、特に晩年に要求される。
これは訓練と練習で身につけることが可能である。
しかし長い年月の積み重ねが必要である。
その積み上げた一人の楽しみを知ってこそ、人との楽しみも数倍に膨らむものだ。

いま35年前の日記を書き写しているが、一人でよく遊んでいたことに驚く。
若かったことと、遊ばなくては神経のバランスが保たれなかったのだろう。
それが結婚を機にして、一人遊びのカタチが変ってしまった。
本屋まわりや、散歩や、読書や、ホームページの書き込みや、
図書館通い、などなどの一人遊びをしている。
大人数の末っ子ということもあって、あまり人に気をつかうのが嫌なのだ。
といって、多くの人の周りにいたいのだ。

ノイローゼとか、精神症は他者に依存をしようとする姿勢から生じる。
群れの中で自分を見失っていくのだろう。
連れ添いに先立たれて、友人も次々に亡くなった時に真の一人遊びに
なるのだろう。
  以前書いた「一人遊び」の内容をコピーしておきます。
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2002/01/05
一人遊び

孤独に強い人かどうかは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ遊ぶ・・・、
書いていて気がついた、それって「お宅」でないか。
似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのでは?
結局中途半端のそれをいうのではなかろか?
字のとおり「お宅」は部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りなどは、一人遊びの典型である。
別にそれをお宅とはいわない。 読書好きの人もお宅といわない。

ところで私の強みは孤独に強いことだ?
人に何かを求めないこと、求めてもそこに何もないことを、経験上知っている。
結局人間最後は一人だ。
自分をボールに見立て、一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくる。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)を示すことだ
「示単」。これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。

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02月04日(日)
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