ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[397525hit]

■1949, 長岡の花火
ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの
高橋和の「第24回 言葉にできない」のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
  ーーー

あれはもう15年以上も前の話になるのだろうか。
将棋道場へ行った日だから土曜日のことだ。
夕飯の匂いが辺りに漂い始めたころ、友人から電話がかかってきた。
 「ワガセンが死んじゃった……」

 ワガセンは小学校時代にお世話になった先生だった。
私を見つけると「おーい、やまとー」と言いながら髪の毛がくしゃくしゃに
なるまで撫で、最後にニッと笑って去っていく。
風貌はライオン丸、でもその目は穏やかで優しく、大好きな先生だった。

 ワガセンが亡くなったことを聞いた私は無意識に足がガクガクと震え、
初めて自分が悲しんでいるということに気がついた。
物心ついてからそれまで「人が死ぬ」ということに直面したことがなかったので、
これが大切な人を失う喪失感なのだと理解した。
しかし、頭で理解するのと感情は違う。
もう15年以上経っているというのに、顔も忘れかけているというのに、
あのワガセンの瞳だけは記憶よりも鮮明に心に焼き付いている。

『あなたに会えて ほんとうによかった
     嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない』

 小田和正さんの名曲「言葉にできない」。
言葉にしようとしても、それが見つからないというこの歌は、
聴いた人それぞれにそれぞれの思いを抱かせる不思議な力をもった曲だ。
それはおそらく、誰しもがそういう出会いと別れを経験してきたからなのだろう。

 その中でも特にもう二度と会えない人との別れには、深い後悔と感謝の気持ちが
入り混じる。
  ーー
 
「息子のためにサインを書いてもらいたい」。
そんなメールをいただいたのはちょうど3カ月前のことだった。
インターネットという顔の見えないところでの話だったので、半分は信用し、
半分は疑いの目を持っていたことは事実だが、とにかく本人に手紙を書かせて
ください、と私は返事をした。

 彼は10歳の男の子だった。どこで知ったのかは分からないが、私が子供たちに
将棋を教えているのを知り、とてもうらやましい、自分も教えてもらいたいのだが、
体調があまり良くないので行けない――といったことが綺麗な字で書かれてあった。


少年がくれたクマのぬいぐるみ。
「2つあるので1つあげる」――そんな優しい心の持ち主だった(撮影・高橋和)
「おとうさんから高橋先生もこどものときにこうつうじこで大けがをして
たいへんだったことをききました。
まだいたいですか。いたくならないようにおいのりしています」。

 私は10歳の子がこんなに心配してくれるなどとは思ってもみなかったこと
だったので、なんだかとても嬉しい気持ちになり、お礼の手紙と一緒に色紙と
使い古しの扇子を送った。

 そして彼からまたそのお礼の手紙が来て、その返事を私が出して……
という具合に手紙をやりとりするようになっていった。

 どんなことが好き? 夢はあるの?

 手紙の内容はそのようなものだった。しかし彼の手紙は必ず
「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」
という言葉で締めくくられていた。

 私が“異変”に気付いたのは2カ月ほど経ったころ、彼の手紙の文字を
見た時だった。
今まで上手に書かれていた文字はだんだんと大きくなり、そして少しゆがみ始める。

 この時、彼は既に病魔に襲われていた。
震える手を抑え、必死に書いた手紙は、身体中に管を巻きつけられ、痛さに
震えながら書いたもの。後に彼のお父さんからのメールで、
「お医者さんに話をしたら、今の状態で手紙を書くのは奇跡のようなものだ」
と言われたくらいに書くことなど無理な状態でのものだった。

 しかし、そのような中でも、
彼は「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」と書き続け、
実際に亡くなる前日まで毎日祈りを捧げてくれていたという。


[5]続きを読む

08月04日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る