ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1823, 日暮里界隈 −3
「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、
「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかない
ことになる。
言語学者の西江雅之の「『言葉』の課外授業」ー洋泉社ー
という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。
・一つ目は「意味」とは「価値」である。
世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、
「面白い」とか「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を
「意味」と呼んでいるのだ。
・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への
「置き換え」なんです。
たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら、「それは『人が座る道具』
である」と。この置き換えが、ある種の「意味」になる。
「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。
「‘desk’の意味は何だ」というと、辞書に「机」と書いてある。
「あ、意味がわかった。この単語の意味は‘机’なんだ」となるような、
別の言葉への置き換えである。
・三つ目は、「世界の創り変え」である。
現状から出発して新たに見出そうとする意味である。
現状を否定して、いっそう本物を求めようという場合の、
「求めるもの」と言ってよい。
日常生活で「意味を問う」などというのは、現状を疑い、現状を変革させること
なんです。
意味には「分析的」なものと、「連想的」なものがある。
「分析的」は欧州風科学で考えるもので、「連想的」は
「ひらめき」や「インスピュレーション」などの科学で扱わない部分である。
ー以上が抜粋である。
一つ目の ー「意味」とは「価値」であるーについて考えてみよう。
ある出来事を、結果として意味付けをしたがるが、それは「自分の価値観
に対して無意識的に押し込もうという働き」と見ると理解ができる。
そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。
そういう知識のない人が、必死になって「意味づけの演説?」をしているのを
聞いたことがある。
その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。
「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた
ことを思い出して納得をした。
まあ、同じことを自分もしているのだろうが。
二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。
意味というのは、同じことを置き換えているに過ぎないというと解りやすい。
「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。
もっとわかりやすい場面が、
夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。
こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで
説明をしてしまうことがある。
「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも答えられない
問題を一言で片付けなくてはならない時に、言葉の置き換えで誤魔化す
ケースだ。
三つ目は「世界の創りかえ」である。
良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。
経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。
その時、背後には大きな意味がなくてはならない。
その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。
「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたら
と、考えてみた。
何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。
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2004年03月31日(水)
1093, ユビキタスの時代ーIH式炊飯ジャー
数年前TVのコマーシャルで、すし屋がご飯炊きを陰でIH炊飯ジャーで
炊いているのを放映していた。
先日、その炊飯ジャーを買って食べたところ、本当にコマーシャルのように
寿司屋のシャリにそっくりに炊き上がっていた。
一粒一粒たっているようなご飯に出来上がっていた。
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03月31日(金)
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