ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
これがうまくいかないことが、人類社会のモメごとのかなり部分を占める。
これを解決するものは、脳の機能の研究以外にはありえない。

この本で私が述べようとするのは、文科系における言葉万能および理科系における物的証拠
万能に頼るだけではなく、すべてを脳全体の機能へあらためて戻そうとする試みである。

・レヴイ=ストロースは言葉の交換が、女性、物財の交換と並んで、
人類社会を成立せしめたと言う。

・お金にまつわる全ては、じつはヒトの作り出した約束事である。

・「ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投射である」

・考えているのは自分である。「実証されなければ科学ではない」。
そう信じているのは、そう信じている人の脳である。
さらに限定するならそう信じている人の意識である。
しかし、脳に存在するのは意識だけではなく、フロイドが発見した「無意識」もある。
数学の論理は、それがある形で脳内にあるからこそ、見つかるのである。
しかし、数学者はそのこと自体を「意識していない」。


●心身論と唯脳論

脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、
ということである。・・・・
「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。
そのどこに『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、
そこに心が含まれるわけがない」という疑問は、問題の立てかたが誤っている。

・脳は確かに「物質的存在」であるから、その重量を測ることができる。
しかし、心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指している。

・ この主張は「機能は構造からは出てこない」ということである。

・ある「ことば」と、その「ことば」に対応する「存在」を考えたとき、解剖学で利用する
「口」や「肛門」のような用語ですら、「対応するもの」が、外界から「実体」として、
かならずしも明確に取り出せるわけではない。これらの「対応するもの」は我々の脳内にある。

・心には、ある特殊性がある。それをわれわれは意識と呼ぶ。
意識には、自分で自分のことを考えるというおかしさがある。
これは、他の臓器ではありえない機能である。この機能的特性のためにヒトは、
意識つまり心をいつでも特別扱いしてきたのである。・・・
そもそもどの臓器であっても、その臓器しか持たない機能が存在する。

・ 生物学の歴史でふつうに見られるように、すでに発見されている構造について、
機能を「発見」するのではなく、唯脳論では、予め知られた機能に対して、構造を割り付け
なくてはならない。こういう逆転した議論を、人はなかなか受けつけないのである。

唯脳論は、心の示す機能に「対応するもの」としての脳、あるいは脳という構造に対応する
ものとしての「心という機能」を扱う。

・ 構造とは、脳なら脳を、より視覚系寄りに扱うやり方であり、機能とは、
同じ物を聴覚・運動系寄りに扱うやり方である。「心は物質から生じるか否か」という問題は、
われわれの脳の構造から生じる見かけの問題だと唯脳論は答える。

唯脳論は、世界を脳の産物だとするものではない。意識的活動が脳の産物だといっているだけ。
脳は世界の産物であり、哲学は脳の産物である。

・ 脳は変転して止まないと言い、他方では同じだという。これは個と普遍の問題にすぎない。
脳の個とはつまり遺伝と発生による決定であり、普遍とは進化的に成立したもの、
つまり「ヒトという種の性質」である。

死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じた。生物学的に言えば、
構造と機能の分離である。ここから構造と機能の分離が「対象において存在する」
という誤解が生じた。私の意見では、構造と機能とは、われわれの「脳において」分離する。
対象においてその分離が存在するのではない。

・ 私が言いたいことは、死体の定義は、いまだ相変わらず、明瞭ではないということである。


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05月24日(火)
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