ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1489, 男と女ー2
      ーアルツィバーシェフ

・不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。
      ーダンテ

・人生の小さな不幸せは、我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
      ーエッシェンバッハ

・人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
      ードストエフスキー

・どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。どこに良いことがあり、
 どこに悪いことがあるのか、我々が知らないだけである。
      ーゲオルギウ

・明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。
      ーゴーリキ

・「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。
      ーシェークスピア

・時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。
      ーキケロ

・いつまでも続く不幸というものはない、じっと我慢するか勇気をだして
 追い払うかのいずれかである。
      ーロマン・ローラン

・人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
      ーラ・ロシュフーコー

・人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
      ーツルゲーネフ

・人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である。
      ーフリーチェ

・絶望は死にいたる病。
      ーキルケゴール

・不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、
 とってをつかめば役に立つ。
      ーメルヴィル

・不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
      ーコルニィエ

・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ
 気がすまないのだ。
      ールナール

・禍福は糾える縄の如し。
      ー老子

ーーーー

ー以前書いた不幸論をコピーする。

2003/01/06
不幸論ー中島義道

図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い内容であった。

幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に
浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。
しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと考えると、
その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたものでないことを、
それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。

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05月01日(日)
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