ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1224, 広松渉ー哲学について(2)-26
あるホームページの感想文をコーピーした。
ー宇羅道彦の「春風録」
断言命題/現代状況構造分析*「閑吟集」より
なにしょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え
「閑吟集」より
詩を書いていた若い頃、万葉集から芭蕉までの歌を新潮社の日本古典文
学大系を買い込んで一気に読んだことがあった。
以来、閑吟集の上記の歌が心に残り、時として口ずさむ。
最近の世情を見るにつけても、古人のこの歌の心が思われる。
これを刹那主義と見ては誤るだろう。
文学者にも、時代背景からして明日をも知れぬ大衆の退廃的刹那主義と
する見方もあるが、くすんだ学者らしい愚かで浅はかな見解である。
退廃的刹那主義を生きるものに「一期は夢よ」という自覚があろうはず
がない。
厳しい社会状況において人が見ることを強いられるのは、平時には日常
性の中に隠されている人の生の本質である。
ここに歌われているのは、苛酷な人生に正面から立ち向かう大衆の心意
気である。
ニーチェはその永劫回帰の思想を「これが人生か、さればもう一度!」
と語ることであらゆる苦悩を含めた人の生の全体を肯定してみせた。
この歌もまたニヒリズムの地平を突き抜けたところで歌われている。
「ただ狂え」という言葉はそこにおいて初めて発せられるものだ。
過ぎた日々や失ったものに執着しこだわるとき人はくすむ。
ぬかるみを生きる湿った感性である。
ただ狂うためには振り返らず、今だけを見つめて生きるあくまで乾いた
感性が求められよう。
ニーチェはこの精神をツァラツストラのなかで<軽みの霊>といった。
苛酷な状況にあって人が局面を打開する可能性があるとすれば、まさに
この歌の心を手に入れた時をおいて他にない。
ここには禅の悟りにも近い覚悟と、人の生への究極の認識が直感的に表
出されている。
乱世の暗黒を生きた大衆は、それに応じた充分力づよい人生を生きた。
この歌はいわば、その証である。
生きることが困難な時、それでもかけがえのない人生をどう生きるか。
あたうる限り、味わい深く存分に生きることが目指されよう。
くすんでいては瞬く間に人生は終わる。一期は夢よ、ただ狂え!
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・・・・・・・・・
2002年08月09日(金)
482, 毎日が刺激的
下の息子に一昨日、家内が電話をしたら自分の会社が
買収されて、近くIBMになるという。
Pwc−プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社で、
ナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。
まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。
アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが
消滅寸前。会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、
今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。
全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。
二分割して吸収される。入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。
外資系は劇的なことを平気でする。
初めからIBMに入社したと思えばよい。
しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。
しかしまたゼロから再教育は最低必要条件である。
本人は長い目でみたら、よい勉強になる。
外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。
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08月09日(月)
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