ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1156, 世間とは−4
特に島国のような固定化社会では、その甘さがお互いのクッションの働きになる。
必要悪だからさらに性質が?!。
若い母親のまず社会の第一歩、そう公園の砂場デビュウー。
音羽で幼児殺人があったが、インタビューされた若い同じ立場の母親が
「動機がいたいほど解る」と何人も言っていた。
あれが世間という世界、日本的カースト制度の差別の世界。
あれも範疇だろう。
細かくランク付けされた立場の小さい視点!
しかし情報化社会において、その根本が崩壊してきている。
この情報化が根底から社会を変えようとしている。
日本的世間(社会)主義の崩壊である。
しかし新しいネット世間ができている、空間を越えて。
この位の割り切った眼で見てないと、世間様のゆで蛙になってしまう。
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2002/05/29
世間とはー2
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、
世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。
神話の世界でいう蛇である。
その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。
どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。
縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋のいう「個人」とは自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。
次に両親からの影響と環境からの自立である。
自分という意志を持った主体の確立である。
世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を、「濃厚な?世間」という。
それを自覚する事である。
「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。
王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」
というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。
個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。
世間とは他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。
誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。
その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!
世間とは −1
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」
という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。
阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない社会そのものを国際「社会」の中で、
常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。
勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。
世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、
全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。
ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。
それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。
世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、
と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。
その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。
そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、
「世間を渡る」という世界。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?
世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を!
日本の島国的特性そのものだ。
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06月02日(水)
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