ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■8009,閑話小題 〜色いろアラーナ
6926, 読書日記 余命宣告されたら何を読みますか?  −2
2020年03月01日(日)
       <生きることばへ 〜余命宣告されたら何を読みますか?> 
                          金子直史 (著)
   * ‘ワオ’に込められた、豊かな感受性と闘う意思
          〜スーザン・ソンタグ 生の美しさ、揺るがない軸〜
 著者の言葉がランダムに散りこまれた内容。母親が余命宣告をされて、家に
帰る車中で、『ワオ』と叫ぶ、そのひと言に万感が込められており、強く印象に
残った。病名は骨髄異形成症候群。 その告知が成された04年3月から死去する
12月前が著述される。
         <死の海を泳いで 〜スーザン・ソンタグ最期の日々> 
                     デイヴィッド リーフ著
 Amazon:内容 
≪ 2004年12月28日、スーザン・ソンタグ死去、享年71。
◉「私は生活の質などに興味はない。自分の命を救うために、あるいは長引かせる
ために、打てる手はすべて打ってもらいたい― それがどんな大博打であっても」。
 亡くなるまでの9ヵ月間、この傑出した批評家・作家は、文字通り死の荒海を
泳ぎ続ける。本書の『死の海を泳いで』は、その短い期間、母に寄り添い、ともに
「死の海」を泳ぎ続けた一人息子が記した渾身のルポルタージュ。そこから
浮かび上がるのは、ソンタグの鮮烈な死にざまであり、生きざまである。
 死出の旅にある肉親に、いかに向き合うか…。誰もが避けて通ることのできない
問い、そして誰も答えを見出すことのできない問いが、ここにある。
  〜投稿より〜
◉ 批評家スーザン・ソンタグがMDS(骨髄異形成症候群)にかかってしまい、
 そこから必死に生きようとして力尽きる母の姿を綴ったドキュメンタリー。
同じような状況はメイ・サートンの小説『総決算のとき』でも描かれていたが、
こちらは、まだ生きたいのに時間がなくなってゆく、という痛切な叫びが聞こえ
てくる。ソンタグの批評家としての顔は知っていたが、プライベートについては
初めて知ることも多かった。またガンに侵されたときには『隠喩としての病い』
を執筆したが、今回は本人ではなく、息子が書いているというのも、闘病の
様子が推し量られる。
 ―
 ソンタグの気持ちをよく表わしている言葉がいくつか紹介されているが、
◉ マルグリット・デュラスの『私は無になるという事実と折合いがつけられない』、
◉ エピクロスの『私の存在するところに死は存在しない。死の存在するところに、
 私は存在しない』
◉ そして一番は、以前どこかで読んだことのある言葉、ジョーン・ディディオン
 の『私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる』というものだ。
『母が作り上げた物語とは、致命的な病いと診断されたところから始まり、
 医療界のペシミズムに突き当たり、希望を与えてくれる医師を探し(略)苦しい
 けれども生命を救ってくれる可能性のある処置を受け、快癒に至るというもの』

 ソンタグは以前にも病魔を克服したことがあるとはいえ、それでも状況に応じて
 精神的にも肉体的にも揺れ動いている様子がよく分かる。それでも自分を冷静に
見つめようと必死に生きる姿に息子は『母には、自分自身の死に方で死ぬ権利が
あった』と語る。 
 ―
▼ 私も、余命宣言をされたら、独りで『ワオ!』と、自嘲をこめ叫びたいもの。
いや、そんな余裕などあろう筈はないか。
 精神腫瘍学が明らかにしたことは「癌は…感情表出の苦手な人々、抑圧のある人々
ーとくに怒りや性的感情を抑圧している人々―がとくにかかりやすい」ということだ。
病んだ臓器を診るだけではいけない、病んでいるその人をまるごと全人的に、身体的
/精神的/社会的にとらえなければよい医療はできないという語りと同じことが、
健康増進を掲げる予防医学でも唱えられている。
同期の男たちが3割、亡くなってしまったが、その共通点が、
・抑圧に耐え、押しつぶされてきた人々。

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03月01日(水)
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