ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7361,閑話小題 〜地元経済の具体的事象は…?
に驚かされる。家庭環境が裕福もあるが、幼児教育の根底からして、理念が
ベースにあるのだろう。(例外もあるが…)ポジティブ・バイアスがシッカリ
あるからだろう。そう考えると、家柄が本人にとって重要ということ。

 そこで次回で、他のバイアスをテーマにしてみたい。
…老化すると、ネガティブ・バイアスが頭をもたらすようだ。

≪ 世界幸福度ランキングで指標となっている項目は、「所得」「社会的支援」
「健康寿命」「人生の選択の自由度」「寛容さ」「腐敗の認識」でポイント付け
られています。「寛容さ」は、チャリティなどに寄付をした事があるか?で判断
され、「腐敗の認識」とは、不満や悲しみ・怒りが少なく、社会・政府に腐敗が
蔓延していないか?  これらが判断基準になります。
日本の幸福度は先進国の中でも低いです。
「所得」「社会的支援」「健康寿命」「自由度」では高いポイントですが、
「寛容さ」と「腐敗の認識」のポイントが異常に低いのが日本人です。≫

・・・・・・
6599,閑話小題 〜ケーシー高峰 逝く
2019年04月10日(水)
  * ケーシー高峰 逝く 
 
・・・・・・
6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ)
2018年04月10日(火)
   * 寺山修司 ・語録より
 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。
それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に
読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会
の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー
などは特にそうだ。
 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。
――――

 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 ―
 “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは
変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが
幻影の体験なのである。”
 ―
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を
生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”

“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている
とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから
「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、
すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に
ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”

“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという
ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”

“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。
回帰するやつは、みんなくたばれ。”

“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も
はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という
ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を
終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は
主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ
である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”

“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を

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04月10日(土)
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