ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7079,閑話小題 〜リーマン直後上回る最悪の落ち込み
やどー!」とあぶあぶやっています。
◉ 全然違う人格なわけですが、これは両方嘘偽りのない「自分」であることは
間違いありません。「キャラを使い分ける」というより、自然にスイッチが切り
替わるという感じです。
人間は誰しもこうした「自然と切り替わる様々な自分」を持っているものです。
分人主義とは、ひとりの人間のなかに詳細な「分人」が存在する、と捉える新しい
世界観といえるでしょう。≫
―
▼ これを書き続け、過去の忘却の彼方の文を読む返すたびに、全く違う?
人格者たる未知、いや無知の自分に直面する。成るほど、「分人」である。
日々刻々、体質も、環境も、知識も、行蔵も変化するため。 リタイア後の、
一日のスカジュールのユニットは、節目ごとに、分人が違っている。だから、
一日一日が新鮮に思えて、飽きることがない。あとは、5年前のとおり。
・・・・・・
2014年08月31日(日)
4917,「個人から分人へ」 ですか!
* 永遠の問い、「私とは何か」
平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一の書評が解りやすい!
≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っている
individualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。
そして本当の自分なるものがあるという
考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、
人間は分けることが可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、
一人の人間は複数の分人のネットワークによって成り立っているという。そして
個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。
・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。
・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を
変えることだ。
・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。
・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を
創出しようとする行為だ。
・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的に
なっていける。
・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。それが許せず
に自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。
・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かな
つながりを発見させる思想である。
・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、
今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。
むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数
の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。
分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されて
いると考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテに
つながっているのではないか。≫
▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になって
いる。だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を
増やしている自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、
そこに存在している。 秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け
込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を
増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙。
自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうち。
――――
2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か? 〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
「狂人三歩手前」−中島 義道 (著) −読書日記
ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
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08月01日(土)
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