ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7059,閑話小題 〜新宿ねずみ −1
な世界に憧れたり、逸脱的な趣味・嗜好を顕示したりする>と。誰もが心の底に、
持っているが、周囲の言動から、自己修正をせざるを得なくなり、自然消滅?
するもの。今でも堂々と、「私は選ばれし者」と、公言する者がいるが…
これは、存在論になる。私が此処に存在するのは偶然か、必然か? 
フランスでは、その中二に「哲学」の科目を与えられているとか?
 第二反抗期ともいわれ、扱い一つで、人生が根底から破綻する可能志を含む、
誰もが通る道。 今では誰もがスマートフォンを手に出来る時代。それ故に、
不安程度が高まる危険性がある。そうこう考えると、親の責任は、より大きく
なっている。 そこで、その具体的症例を調べると、これ面白い!
 それは、後でテーマにする。人生、振返ると危険な爆弾の山の繋がり。

 偶然だが、脈絡として丁度良く、去年の文章に続く。
・・・・・・
6329,閑話小題 〜何でまた、17年もかけて…
2018年07月12日(木)
  * ネット社会は、小さな物語の公開から

『複数の小さな物語の作成と読返しで、内省する日々ですか…』とブツブツ、
ここで呟く日々。 毎日、TV、タブレット、パソコンなどのデジタル世界と、
現実世界?では、スポーツジムと、早朝一時間のチャリ遊覧の日々。
その合間にベッドか、居間で横たわる。『17年、ほぼ休むことなく、6300テーマ
を書き続けるのは何で?』と、書いている私自身でも度々、疑問に思うこと。
このバカバカしさが面白いから、ただ、それだけのこと。
 日々キャッチした情報をブログに記録し、クラウドしてしまえば、何時でも、
何れの場所でも、そこにアクセスできる上に、他者に公開することで、その利益
を共有することが可能になる。 そこは「サテライト・オフィス」そのものにも。
とすると、スマ―フォンと、ブログの普及は大きな物語の終焉を意味する。
ブログは、個々の複数の小さな物語の創作と公開そのもので、それがネット上で
地球上に公開される。このことを、リオタールは、著書『ポスト・モダンの条件』
(1979年)で、かってのマルクス主義のような近代を特徴づける大きな物語の
終焉を説き、複数の小さな物語の時代としてのポスト・モダンの到来を予告した。 

《 近代すなわちモダンの時期における思想文化は、進歩や革命、あるいは
 人間主体の解放といった「大きな物語」で自分を正当化できると思っていた。
しかし、そうしたイデオロギーは、歴史的にみて、ソ連の崩壊で終焉し、複数
の小さな物語が主流を占めるとし、ポストモダンの到来を予告した。
 哲学や科学が目指してきたもの=自己実現、人間の解放、人類の進歩など
人間や社会を根本から変えるような「大きな物語」の終焉をむかえた。
20世紀前半の第一次、第二次世界大戦と、後半のソ連の勃興と崩壊とともに、
決定的に大きな物語そのものは凋落してしまった。現代とは、互いにバラバラで
異質のままのローカル言語ゲーム同士が、整然たる秩序に組込まれることなく、
混在しあう時代。これらの小さな物語を調停する新しい価値基準はもはやない。
むしろ必要なのは、安易に既成の価値観によりかからない、様々な異質のもの
同士のせめぎあいに堪えられる強さを持つこと。》(『世界の哲学・思想』より)

▼ それぞれがスマートフォンを持ち歩き、写真や、ビデオを撮影し、互いに
 遣り取り出来る時代には、大きな物語より、身の回りの小さな面白い写真や、
映像に対し、人々は反応する。何事も一万時間の集中した時間の投入がベースと
いうが、私は、その二倍近いエネルギーを投入してきた。で、日々の経験を
そのまま飽きもせずに… 成るほど、これが私のベースであり、限界でもある。
ー―――

2018/05/04
閑話小題 〜17年書き続けると
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。その割に、読みっぱなしのためか、

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07月12日(日)
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