ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383782hit]
■7009,閑話小題 〜得体のしれない国=アメリカ
の境目で、真の女の魅力が現われ出てくる。それは何とも表現しようのない
美しさ。その彼女を奮い立たせて営業成績を供に上げるには、男女の関係の塀
の上に立たないと無理。40歳頃の女性の精神と身体のバランスが何とも奥行き
のある魅力を醸し出す』
何とも小説のような危ない話。‘{おばさん化」するとは、30歳代で、
‘おんな’を捨てた女性。諦めた瞬間、おばさんにまっしぐら。
思いつきのテーマだが、このキーワードで思いつく材料が次々と浮んでくる。
で、ネット検索で見つけたのが、林真理子の「おばさん」のエッセー。
これが面白い… 〜つづく
追文: 4年前の以下の文章。「‘おんな’を捨てないで生きていく覚悟」
が、女性道での悟り。精神の奥で自立するかしないか。 としても、
「腐った女」 のような男が多いこと。自立できない、あの一群のゾンビ。
それも他人事ではないか。
・・・・・・
5182,人生相談という気晴らし! 〜H
2015年05月23日(土)
『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
* 悟りが在りや無しや?
世には、「悟り」を真面目に求める人がいるものだが、私の答えを正直に
いえば、「自分が、つくづくバカを悟ること」「体裁を過剰に求めないこと」
と、「自分に対し、あまり誠実でないと自覚すること」である。それは悟り
の問題というより、「自覚」の問題だが。 世界の果て(秘境)で、想像を
遥かに超えた絶景に出会った感動の瞬間が、悟りに近い?
これは自分が実感するしかないが。
≪ Q: 「悟り」の世界はただの夢なのでしょうか?
私は五十六歳の主婦です。三十年ほど前、結婚して心のバランスを崩した
ことがきっかけで、精神世界に関する本を読み漁り、悟りという煩悩に支配
されない境地に憧れるようになりました。それから、さまざまな講演や参禅会に
参加したりしましたが、今でも悟りなどとはほど遠く、つい感情的になったり、
主人に嫌味を言ってしまいます。以前と何一つ変わらず、同じところを堂々廻り
しているような気がします。最近はいっそ、悟りなど無いと言われたほうが
気が楽だとさえ思ったりします。本当に悟りというものはあるのでしょうか。
それとも、元々ない夢を追い求めていたに過ぎないのでしょうか。
何か手がかりをいただけると幸いです。
A: 〜自分で一生かかつて確かめてみるしかないでしょう〜
今回の相談も「いらいらする」ものですね。大体、哲学者ごときに
「悟り」が在るか無いかを聞いても、まともな答えが返ってこないことぐらい
わからないのでしょうか? 同じように、神はいるのか、善悪の基準はあるか、
真理はあるのか-…、といった問いに、ハキハキ答えてしまう哲学者は、
正真正銘のニセモノです。では、哲学者はこうした問いに対して何もできない
かというと、そうではない。 哲学特有の領域を指し示すことはできます。
あなたはすでにわかっているかのように「在る」とか「無い」という言葉を
使っていますが、じつはその意味は皆目わからないのだ、ということを
あなたに気づかせることです。「悟り」が「在る」としても、それはコップの
ように、空間のように、数字のように在るわけではない。では、「どのように」
在るのか、もしかしたら「無い」のか、と問えば、まず論理学的法則から決め
られるのでないことは確かです。「悟り」は別にそれ自体として矛盾している
わけではないのですから。また、物理学などの科学を持ち出して決定できる
わけでもない。現代科学のすべての成果をもってしても、意識については
わずかにも説明できない。「見える」ということ、私が私の手を「上げられる」
ことさえまったく説明できません。このことを話すと話が長く(千倍くらい)
なりますので、いまはやめます。疑いなく、「悟り」とは意識に関すること
ですから、科学者をはじめ、その体験をしたことがない人が「外から」アレコレ
詮索しても仕方ないのです。言いかえれば、あなたが本当に確かめたかったら、
[5]続きを読む
05月23日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る