ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6457,映画観賞 〜『ボヘミアン・ラプソディ』
 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの
『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上
を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、
ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、
刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、
感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、
博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身
についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は
通っているので、100分の1にあたる。是非、ご鑑賞を勧め!  評価:95点。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。
自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、
いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。
私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、
もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、
多くが見えてくるもの。結果からみて、それは予定挫折であった。
自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、
このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、思いでしかない。
その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を
振り返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、
如何に恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果を
プラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由
を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、
幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択
しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、
人生を切り開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は
理想だが、こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、
獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。
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4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜@
2014年11月17日(月)
              ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
  * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期
 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて
います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども
から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り
切っていくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること
を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、

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11月17日(土)
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