ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6440,読書日記 〜やさしさね〜 −1
家のスペースが小さい為、居心地が悪いこともあるというが。
卓上の大型犬が、再度、働き出た直後、夫婦して働きに出て散歩時間が
激変をしたためかストレスで亡くなってしまったというから、犬が逝くか、
当人かだったと、ブラックジョークも忘れない。
 
 やさしさ〜 人生で一番足りなかったのかも。
末っ子はやさしさを受けて当然と思いがちで、与え方が苦手。
何やら褒めることが第一歩は分かってはいるが…

・・・・・・
5318, そもそも教養とは何だろう
2015年10月06日(火)
            〜『世界の哲学・思想』小須賀健著より
  * もっともっと本を読んでおけば良かった
 学生時代の卒業まじかに、「もっと読書量をこなしておくべきだった!」と
気づいたが時が既に遅し、ノイローゼ気味になり留年さえ考えた。しかし、
まず一度社会に出てから考えることにし、その代わり、一日2〜3時間の読書を
自分に課すと決心、それが現在まで40数年続いている。それが学生時代の一番
の収穫だった。 今から振返って、学生時代の砂場には数知れない経験が
詰まっていた。 〜哲学入門的な本の冒頭に以下の内容があった〜
≪ なぜ私たちは、一人前の大人になってから「もう少しまじめに学校の勉強
 をやっておけばよかった…」と反省したりするのでしょうか。 じっさいに
学校にいたときには、「こんな勉強がなんの役に立つのかさっぱりわからず、
まじめにやる気になどなれなかった」という人が(私も含め)ほとんどでしょう。
 では、大人になってから、もう少しまじめにやっておけばと反省するのは、
社会に出て勉強の必要性が身にしみてわかったからなのでしょうか。
どうもそのようには思えません。どんな職業であれ、「自分の仕事に学校の
勉強が役立った」と確信した、などという話はあまり聞いたことがありません。
義務教育で学ぶ勉強が実社会で役に立つはずだ、という思いこみがまったく
幻想であることは、みんな分かっています。社会で要求されるのは、効率よく
仕事をこなすこと、あるいは無駄なく目の前の課題を片づけていくこと。
こうした日々を送っていると、逆に学校時代における学習という行為が、
そのような効率や目的から自由であったことが理解できるはずです。
 古代ギリシアの人々は、人口の二倍にもおよぶ奴隷に基本的な生産労働を
行なわせることで、少なからぬ時間的余裕を謳歌していました。
ただ、彼らはこの余暇の時間を、漫然と過ごしていたわけではありません。
こうした時間を使って、自分を磨く、あるいは教養を高めるといった活動に
励んでいたのです。この「余暇」をギリシア語で「スコレー」といいますが、
この語が英語のスクールの語源であることはなかなか示唆的です。
 おそらく、もともと学ぶという行為は、生産性とか利便性といった功利目的
からは隔絶されたものだったのです。今私たちが、学校時代を振りかえって
ちゃんとやっておけばよかったのにと後悔を覚えるとき、そこでイメージされて
いる勉強もおそらくそのようなもの、つまり功利性とは無縁に過ごせた時間
への郷愁なのではないでしょうか。
 しかし、じつさいの学校における教育はどうでしょう。学校は、社会とは
区別される領域でありながらも、社会への通路でもあるために、社会一般の
価値観がその中に侵入してしまいます。そのため勉強するのはいい大学に入る
ため、あるいは楽な人生を送るためといった功利的な発想がすでに蔓延して
います。私たちが外から夢想するほど、学校での勉強はうらやましいものでは
ありません。たぶん学生のころにもっとちゃんとしていればよかったと振り
かえって後悔する人は、仮に今それが可能になったとしても、同じことを
繰りかえして漫然とときを過ごすだけでしょう。そのときにできなかった人は
今もできないままなのです。それなら振りかえるのはやめて、今からしたい
ように勉強すればいいのです。逆に後悔しても、そのときは勉強できるような
余裕も環境ももてなかったという人もおられるでしょう。そういった人たちも

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10月31日(水)
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