ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6415,読書日記 〜神さまって、そもそも何?
それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心
に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった
のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで
済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。
 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、
自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、
その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」
と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、
その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、
その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場
の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から
構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 
その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。
だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。
それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の
女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、
その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること
自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 
電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。
人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、
撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは
少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、
構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 
対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。
その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。
何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。

・・・・・・
3847, 創造的破壊
2011年10月07日(金)
「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、
古いものの破壊が、そこにある。新しく創造されたものも、時間と共に古くなり
破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、創造のベース
として捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれ
かわるための破壊になる。但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 
社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから
こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。
しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。竹の節は、これがあるから
大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。
予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 
半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、人生の前半に、多くの節目が
あったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を
充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。  
創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、
【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって
 唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な新しいものによって駆逐
されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスを
そう呼んだ。不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げる
ものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いもの
を打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。
 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、

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10月06日(土)
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