ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6414,閑話小題 〜巨人の次期監督は
もしあなたに何かのお悟りがやってくるとしたら、それはSEXをしているとき
かも知れないし、庭を掃いているときかも知れない。芋を洗っているときかも
知れない。金魚が泳いでいるのを見たときかも知れない。それは私の知った
ことではない。そして、あなたの知ったことでもない。
Who knows it? 誰にもわからない。しかし、ひょっとしたら何かが起きる
かも知れない。 たぶん、やって損はないとだけ言っておこう。何が起きるかは、
起きたときのお楽しみ。≫
▼ この7年間、早朝のポタリング時に、大手大橋でヒキチャリをしている。
地球の芯に『球芯様』と命名し、橋の途中から、話しかけて対話をする。
幼稚だが、その会話が面白い。
<球芯様、おはようございます!>
≪ オウ、お前か。お前を通して、周囲の景色を見るのが一番の楽しみじゃ!
ジックリと見回してくれ。それが私を呼起した見返りじゃ。それにしても、
ワシに命名し対話を求めるのは御前ぐらいだ。 大体が、人間は、どうでもよい
細かいことに気が向きすぎじゃ。もっと大自然に、道理に、無心になりなさい。≫
<それにしても絶景ですな>
≪ 慣れるとは、恐ろしい。この美しさを、そのまま味わいば良い。
それがワシにとっての解放になる。この川のせせらぎ。飛遊する鳥たちの姿。
遠くの山々。そして、陽光と、雲の織りなす美しさ。こうして御前が、私に
見せてくれるのは有り難い。この見返りは、世界の絶景の場に、お前を導くこと
になるのさ。 ≫
この内語の対話も一種の瞑想。この景色の美しさに気づいたのだから。
世界の絶景を数知れず見てきため、地元の絶景に気づくことが可能になる。
それが次の旅に、誘っていく。あり難いことだ。 あり難いことに気づくこと
こそ瞑想の目的である。感謝、感激、感動の触媒は、幾らも身近に存在している。
・・・・・・
4210, 異郷日記 ーサンジバル
2012年10月05日(金)
「異郷日記」西江雅之著
* サンジバルの逸話
人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い
続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく
しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー
≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど
離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が
散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の
すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に
埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、
アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、
緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、
奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの
声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、
高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた
歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の
内部にすべり込んでくる。 (・・・中略)
わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。
ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った
ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム
(汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。
老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね?
お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。
それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」
若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。
あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに
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10月05日(金)
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