ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5762,閑話小題 〜プーチンと安倍 〜2
遺言しておこうと思う。】(継さんの自分史の中から)
このあたりに・自分史を書く意味がよく表現されているど思う。
自分史を書くのは、第一義的には自分のため・自分の存在確認のためだが、
その次には、家族あるいは子孫のためである。家族(子孫)に真の自分がどんな
人物であったかを知ってもらうためである。
個人差はかなりあろうが、誰でも家族との人間関係は、濃いようで、意外に
薄い側面がある。配偶者にしても、子供にしても、生きた時代のズレが相当
あるから、意識のズレが大きい。とくに人格形成期(幼年時代、子供時代、
青年前期)の自分に関しては、誰でも自分の人生の記憶としてもっとも大切な
部分がそこにあるという思いがするだろうが、彼ら(子供と配偶者)はそれに
ついてほとんどなにも知らないはずである。それは彼らにとって、自分たちが
存在する以前の神話時代に属する物語なのだ。
だから、自分の書いた自分史を読んだときに、彼ら家族も、「初めて私なる
人間の一端を知る」ことになるだろうと継さんは言っているのだ。
人によっては、自分の子供時代のことを、家族に多少は昔話を語るような感じ
で話したことがある人もいるだろう。しかし、まとまった話を筋道立てて語る
ということは、たいていの人がしていないはずである。
わたしにしても、父と母がどのように結婚して、新婚時代どこでどのように
暮らしていたかといったことを、ちゃんと系統だった形で聞いたのは、母の
最晩年、90代に入ってかなりたってからだった。いま聞いておかないと何も
聞けなくなると思って、ある日、60代、70代の子供3人が、しかるべき場を
こしらえて聞かせてもらった。実際、それからしばらくして母は死んで
しまったので、母からはそれ以上なにも聞けなくなってしまった。結局、
そのときまとまった話を聞いたのが、そういう話を聞く最後の機会だった。≫
▼ 母親が70歳後半になって、自分史の出版を思いたった。他人から
みたら、何だろうかという内容だが、子供からすれば、貴重な遺稿である。
時節ごとの写真と、短歌と、辞世が良い。純真な魂が、そこに見て取れる。
両親の人生と、私の生きた人生は、魂そのもの。自分史を書きたくなった!
・母の辞世より: 窓の下逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し
・気に入った短歌: 雨後の庭靜まりかへる片隅に 目をくりくりと足元の蛙
南山の向うは日出づる日本なり 連なる山に紅き陽の照る
・・・・・・
5032,ポジティブ・サイコロジー ー�
2014年12月24日(水)
ポジティブ・サイコロジー ー�
『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
* その日の終わりに、全体的評価を!
週一回のシネマを観た評価を、ブログの『バードウォッチ』に80点とか90点
とかを書き入れているが、この評価をダイアリーに日々、書き込めばよいと、
始めたが、もうマンネリになっている。‘平均か普通’の5点より以上の6の
‘よい’にするには、何かよいことを探さないと・・ この日記のテーマ探し
のようなもの。 それが「よい」のだろう。 ーその辺りから
≪ たとえば、よい一日というのは、あなたが電話でお母さんと話した日のこと
だとか、運動した日のことだとか、特別に日記に書き留めた日のことだなどと
特定することができれば、そこから実践的な教訓を学ぶことができるだろう
―そういう日を、もっと増やして、そうではない日を減らせばよい…と。
この演習が陳腐なものにならずに済んでいるのは、「よい一日にするには
どうしたらよいのか」と今まで立ち止まって考えたことなど一度もなかった
という人が多いからかもしれない。また、よい1日とはどういう日かと抽象的に
深く考えてみたとしても、その答えは実際には正しいものではないかもしれない。
そこで、ノートかメモ用紙を用意するか、エクセル・シートを作成して、あなた
の、日の行動を記録してみよう。一時間刻みで記録するのがやりやすい人もいれば、
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12月24日(土)
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