ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4877,閑話小題 〜大相撲の立ちあいに、肘打ち!
・放射線科で一生懸命になった理由…         ・昔の「自然死」「老衰死」は大部分、がんだった
・モルヒネは太古からの痛み止め剤          ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る       ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産         ・あなたは立派な患者だった
 ▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。一番恐れている死に方が、
 実は理想とは。 数年前に独り住まいの孤独死が問題になり、そのTVドキュメントを放映していた。
そこで、誰かが 「孤独死が悲劇というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する
見方があった。家族に囲まれても、死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への恐怖も、
残されたものの思い込み。生き残るものは立場からして違うのである。哀しみの感情を満たすため、
当人の真の辛さが二の次。 で、逝く者は地獄になる。  やはり自分の延命に対する
「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に準備を考えると、65歳が引け時だったか。
・・・・・・・
4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に
2012年07月22日(日)
  * 日記は翌日の午前中につける
 ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。当時の貴族たちの多くは、
日記は翌日の午前中に書いた。つまり前の日の出来事を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは最近のこと。
前日とはいえ、時間をおいて思い出すのは脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめることができる。私は日記的
メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、フリー落書帳を、三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。
しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。改めて考えると手帳お宅、そのものである。内省的性格からして、
これほど自分を落ち着かせる習慣は他には見当たらない。朝4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログに
アップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、
翌日分の随想日記内容の下書きを書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。その中の空き時間にiPadで
週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリングの出発前の10分間ほどだったが、
9時過ぎに時間を移行することにする。それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
  * 父親のこと ー2
 父は太平洋戦争前までは、実家の老舗の古道具屋の二代目で、母親が嫁に来たときに父に聞いたそうな。
「家って金持ちなの?」、それに対して父は「資産が7万円位で、金持ちの目安が10万だから、金持ちではない」と。
そして10数年後に戦争が始まり、それから数倍にした財産の殆んどを無くしたという。しかし、その財産の一つが、
空襲で焼けた後の繁華街の四角のあり、そこで始めた商売が当たり一時的だが、全国にも知られた繁盛店になっていた。
父は戦前、道具屋をしていた頃に、その商売柄、津上退助、野本恭八郎( 野本互尊翁)など戦前・戦中の財界人に
フリーパスで会うことが出来て、年に数点の骨董品を買ってもらうだけで商売が成り立っていたという。
そのため世の動きに対する知識や教養が必要ということを肌身で感じていた。コンプレックスだけでなく、
子供には学問を身につける必要性は分かっていた。早寝、早起きがベースにあり、20時半には就寝、5時前に起床し、
新聞を読んでいた。綺麗ずきで、チリ一つ落ちていない家であった。晩年の趣味は骨董品の収集、旅行、株式、旅行。 
怒鳴ることは無かったが、その代わり強烈な皮肉が飛んできた。自分だけでなく家族に従業員に非常に厳しい人だった。
要する地味にして目立たないこと、自己主張をしないことが大家族の掟。兄姉達は、常に父親の顔色を窺って、
側には近寄らないようにしていた。その父親が亡くなったのは満70歳。 私も3年半後に、その歳になる。

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07月22日(火)
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