ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4820,閑話小題 ー22年ぶりの車選び
統一するための実践という意味で、ヨーガ(瑠雌)ということばが使われています。` とくにインドの宗教史のうえでは、
グプタ王朝(4〜6世紀頃)の時代に『ヨーガ・スートラ』を根本聖典とするヨーガ学派が成立し、ごれにもとついてさまざまな
ヨーガの流派が出現しました。そのなかでも、12〜13世紀以後に発達した「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるものがもっとも重要で、
現在行われているヨーガに直接的に影響を与えています。「ハタ・ヨーガ」とは、肉体的な修練や呼吸の制御などによって、
心の集中、統一に適する身体と精神力を築き上げる方法です。ヨーガは主として健康法として人々に受け入れられていますが、
本来は真の意味での心の安泰、あるいは真実の自分の発見という宗教的な目的をもった行法であり、瞑想と深いつながりがある。≫
 ▼ 「心を集中し統一するための実践法」で、心の安泰と、真実の自己発見が目的がヨガの目指すところ。ヨガの先生が
  言うには、「私の日常の行為の殆どがヨガに繋がっている。歩いても座っても寝ても、靴を履く行為さえも」 流石である。
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4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3
2012年05月26日(土)
    * 第一章 孤独な人       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
  孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固になると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。
 この章で紹介している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 私も長く生きるほどに、この中の誰かに
似た人になっていくのだろう。いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾が誰の心にもあるのだろう。
理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
 ≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなりきっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた
 惨たらしい出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせてくれるから、
「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずにはいられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・・ 
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。 わたしはこの章で、自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを
紹介してみようとしたのだった。すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、心身の能力は衰えていく。
もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになっていく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、
無力感や孤独感が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に近づくことでもある。また、馴染み深い人や
大切な人がいち早く彼岸へ旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。だからこそ恐ろしい。
だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いてしまう
理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
 ▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の老人が長生きの果てに待っている結末か。
  逆に90歳半ばを超えて元気で、あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の愚痴と、悪口、
  噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
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3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー�            ー 「音楽の本」三枝成彰著 より

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05月26日(月)
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