ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4806,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー3
所詮はいつか死んでしまう、ということから人生を考えると、今死んでもあとで死んでも同じよなものだ。
人生は死刑のようなもの。だが、それは、悲観的なものではない。生まれてきた奇跡を、この宇宙的ラッキーを、
ポジティブに捉えようではないか。死ぬことが悲劇なのではなく、生きていること自体がすばらしい奇跡なのだ、と。、
・ ルート3は、宇宙サイズの視点に立って、自分の小ささを客観視する道。
百三十七億年前にできて、直径二百七十四億光年のサイズを持つ巨大な宇宙。この宇宙スケールから見ると、何て人間は
小さいことか。しかも、地球上に七十億人もうごめいている人間。あなたはその中のたったの一人に過ぎない。
全体から見ると、あなたが自分の死にこだわることは、極めて部分的な些細なことに過ぎない。
・ ルート4は、主観時間は幻想だと理解する道。
客観的な時間は、百三十七億年にわたって、一秒ずつ確実に時を刻んできたかもしれないが、主観的な時間は、それとは異なる。
過去と未来は圧縮され、生死のところで長さがゼロになる。しかも、それは幻想だ。あなたの過去は記憶の中にしかないし、
あなたの未来は想像上の産物だ。あなたには今しかない。あなたは、今しか感じられないのだ。時間などない。
だから、あなたの主観時間に、死の入り込む余地はない。
・ ルート5は、自己とは定義の結果だと理解する道。
自分がいて、生きていて、考え、行動し、いずれは死んでいく。そう考えるのは、近代西洋流に、自と他、生と死、主体と客体、
能動と受動といった二項対立図式でものごとを捉えているからに過ぎない。それが正解ではなく、ものごとを考えやすいように、
そのように定義しているだけだ。「自分」を定義するから自分があるかのような認知が行われ、「死」を定義するから死を
恐れている気がするに過ぎない。もともと、世界は単に全体として世界であるだけであって、自分も死もないのだ。
・ ルート6は、幸福学研究からのアプローチ。
幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人の目を気にしない傾向。
これらを満たすのは、自己を捨て、無我・無私を実践できる達人の生きかた。・・・ここに到達した人は、
持続的な至福を感じることができる。逆に、持続的な至福を感じられる人は、達人の域に到着することができる。・
・ ルート7は、リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ。
そこには、リラクゼーションからでも座禅からでも、念仏からでも達することができる。いや、ルート6のいずれからでも
到達することができると言うべきだ。 何しろ、もともと同じ山を登っていたのだ。 登頂した先は、同じところ。
死を恐れない境地。それはそのまま、生を満喫出来るところ。昔の人は、科学技術の知見がなかったから、仏教哲学に
よってしかそこに到達できなかったのかもしれない。しかし、現代人には科学技術がある。脳科学の知見は意識が幻想だ
という事実を僕たちに突きつける。
▼ <私たちの心は幻想でしかない。137億年の時空の自分は小さな存在、そこでの主観時間は幻想。それを感じている
己も定義でしかない。そこでは、他の人との比較に目を奪われることなく、深くリラックスをしていれば良い>が活きるコツ。
ひたすら今を活き活き、楽しめばよい。背中に羽をつけた天使のようになるに、まだ重い。せっかくサバンナに出てきたのに。
・・・・・・
4065, お金と神 ー1
2012年05月12日(土)
* 「お金=信用」と「神=信仰」は似ている 〜� ー「お金の執着」が経済を狂わせるー小野善康 より
お金とは何だろう?と長年考え続けてきたが、お金と神との同定の視点が面白い。両者ともバーチャルの信頼で成り立っている。
一部の支配者が神の信託に、紙幣の信託の類似性をみて発明したのが金で、両者とも共同幻想の最たるもの。 ーまずは、抜粋から。
≪ お金と神は似ている。一般に、お金とは汚いもの、神とは聖なるものと言われる。いずれも実体のないバーチャルなものなのに、
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05月12日(月)
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