ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4803,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー1
つまりクオリアAから見ると、身体Aもそれ以外の世界も同じくクオリアAの観劇対象なのであって、所有物ではない。
もはや身体と外界、自己と他者、主体と客体、という分け方は意味を持たない。意味としてつながり合って相互作用しているのみ。
クオリアAが観劇できる範囲は、身体Aの五感が情報取得する範囲まで。つまり、身体Aは、移動式観測装置だ。
これまでの世界で、あなたと他人の同意とか共感とか呼んでいたものは、身体Aを介した他者の自己化だ。
いや、自己の他者化と言うべきか。自己という概念はないので、主客合一、自他非分離と言うべきである。≫
≪ー私とは、仮構された「自己」というシステムでしかないー もちろん、この楽しく生き生きした世界を観劇できなくなる
 ことはとても残念だが、それだけだ。「私の死」ではなく、「一つの観劇システムの終了」だ。つまり、仮構された「自己」
という概念を解体してみると、「死ぬのが怖い」という概念は存在できない。「死ぬのが怖い」という概念は、「自己」という
幻想に付随して作り出された幻想に過ぎないのだ。比喩的に言えば、身体Aとは窓だ。一つの窓を通して世界を見る装置だ。
世界は、いろいろな身体を通して見られていた。また、世界では、それらの身体によるインタラクションも行われていた。
これからも今までと同じように、行われていく。おびただしい数の身体たちによつて。違いは、おびただしい数の身体の中の
たった一つであるところの身体Aが機能を停止した、ということだけだ。それに伴い、役目を終えた、身体Aを介した世界観測者
であるクオリアAもまた役目を終えた。ただそれだけ。  もう「つ、強調しておくと、身体Aと世界は一体だ。
身体Aは、世界とつながっている。世界は、身体Aとつながっている。つまり、元来「自分」と呼んでいたものは世界である、
世界は「自分」だ。本来、自己と他者の境界はない。境界を定義するからあるように見えるだけだ。したがって身体Aの喪失は、
世界の一部の喪失に過ぎず、世界から見ると髪の毛や爪を切るようなものだ。≫
 ▼ 自己は定義の結果とすると、精一杯生きてきたこと自体が何だったのだろうか?そこで立ち現れた世界が自分になる。
  ご隠居の身になった現在、私など死のうが生きていようが、どうでもよいこと。今まで「自分」と呼んでいたのが実は
  世界だったということ。入江の洞窟と外海が繋がっていて、洞窟の周辺を自分と思っていたが、外界を含めた
  世界が自分と考えると納得する。己の行蔵を振り返ってみれば、そのことがよく分かる。今の自分も世界ということも。
  そうこう考えると、何?この俺は! になる。ただ気楽に死ねばよいだけ、プシュと。 ボチボチ気楽にいけばよい。
・・・・・・
4062, 本当は怖い抗うつ剤 ー1
2012年05月09日(水)
 数ヶ月前に抗うつ剤(ハッピードラッグ)の恐ろしさについて書いたが、ある雑誌に浜松医科大元教授の抗うつ剤からの脱却の
レポートがあった。親戚・縁者にも鬱病に苦しんでいる人を多くいる。青年期に何度か挫折体験をしたが、宗教系や精神論の本で、
独りで克服してきた。去年の挫折?は、早朝のミニサイクリングとスポーツジム通いで運動量を増やし、毒が溜まらないようして
乗り越えた。iPadにエネルギーを集中したことと、シネマ通いも効果があった。 また身近な縁者の倒産劇を手助けしたことで、
情報を得ていたこともある。節目は可能な限り綺麗に?を、心がけたことも毒を最小にしたようだ。 私の知人に気楽に精神科の
通院を勧めたが、大丈夫だろうか。 抗うつ剤が多く使われ出した頃から、自殺者が激増し始めた統計がある。要はドラッグ患者に
仕立てられているのでは? という疑問が出ていた矢先の、医学者の実体験の内容である。 恐ろしい限りである。
  ー 大まかにまとめると ー          { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
≪ 厚生労省は2013年から、今まで4大疾病として扱われてきた、脳卒中、急性心筋梗塞、がん、糖尿病に精神疾患を加えることを決定した。

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05月09日(金)
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